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日蓮宗全国檀信徒協議会

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だんしんきょう 令和3年 11月号

開催日: 2021年11月01日

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内藤 松雄氏
北海道北部檀信徒協議会副会長
富良野市本慎寺総代
昭和15年7月15日生
趣味:旅行、パークゴルフ
 
菩提寺と運命に導かれて
 
 今回めったにない執筆の機会をいただきました。僭越ですが生い立ちを通じて、菩提寺に関する思いを書かせていただきます。
 私は北海道・富良野市の畑作農家の長男として昭和15年(1940)に生まれました。幼少の頃の記憶ですが、食べ物は麦の豆ご飯でおかずが塩味のジャガイモの日常でした。近所の母の実家や叔母の家でご馳走になった手作りの「たんきり飴」や甘酒がとても旨かったという思い出があります。また、お盆や棚経参りのときの木鉦の音の記憶が残っています。お正月はお経とうちわ太鼓の音だったでしょうか。信心深かった叔母からお釈迦さまの話を聞いた思い出もあります。母の実家をはじめ親戚のほとんどが日蓮宗本慎寺の檀家でした。
 こうした幼少時の生活を一変させたのは、父親の戦死でした。母親は生活のため、旭川市へ私を連れて再嫁しました。ある日、継父の母親が亡くなり札幌市で営まれた葬儀に参列しました。その時に、継父の実家も日蓮宗だったことを知りました。それが初めての葬式の参列だったと思います。その頃の日本は終戦貧乏と復興の苦しい時代だったのですが、葬儀は厳粛な儀式で営まれていたと記憶します。また町中で虚無僧や寒修行を見かけ、今より仏教が身近なところにあったようにも思います。
 昭和34年に高校卒業と同時に就職し、以来、日本の高度成長とともにモーレツ社員として働きました。結婚して息子2人が生まれ、旭川市内に家を建てました。やがて2人の息子が独立し、継父、妻、母の順に霊山浄土に送りました。
 妻は、さあこれからともに熟年生活をと思った還暦直前に難病で逝去しました。その折に、菩提寺を故郷・富良野の本慎寺に定めました。今年、無事に妻の23回忌を営むことができました。思えば、長い独居生活の中で、心の支えとなったのはお題目でした。
 多くの親族の墓のある本慎寺に眠ることとなった母は今、何を思っているかは分かりませんが、苦労の多かった母に少しは親孝行ができたのではと思っています。
 菩提寺・本慎寺には、妻の葬儀以来、法事や墓の建立などを通じてお世話になりました。そんなことから本慎寺の行事には積極的に参加、協力するようになりました。本慎寺の旅行会に参加し、総本山身延山の登詣は4回を数えます。そして、本慎寺を菩提寺とする親戚各家を代表する形で総代の任を受けることとなりました。富良野を離れることになった私が、生誕地に菩提寺を求めた上に、総代になったことは、仏さまに導かれた運命のように感じます。
 菩提寺とは故郷のような存在だと思います。母がそうだったように、菩提寺はやがていつか私も帰る場所だと思っています。そう信じることでことで、菩提寺のために尽くすことが自然になっていったように感じています。
 現在管区や教区の研修道場に参加して法華経や信仰について勉強中です。信仰を深め、得た知識や作法・マナーを人に伝えていきたいと思っています。
 

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