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だんしんきょう 令和2年 4月号

開催日: 2020年04月01日

増田 松太郎 氏
大阪府大阪市檀信徒協議会副会長
東大阪市上行院護持会長
昭和13年11月15日生まれ
趣味:グラウンドゴルフ、読書

 

 南無妙法蓮華経。この7文字が持つ偉大さは、私にとって何ものにも代えがたいものがあります。振り返ってみれば、この世に生まれてから80年の間にはいろいろな事柄を経験し、信じられないこともたくさんありました。これらはすべて何か見えない力に支えられていたかも知れません。
 私がこの世に生を受けたのは昭和13年、大阪市船場ででした。周囲には大商店が建ち並び、生家も荒物屋として大きく店先を広げていました。私が4歳になっていた時に、祖母にお寺に連れて行ってもらいました。場所は近鉄電車の額田駅の近くにあるお寺でしたが、私たちはバス利用していました。そして道のりは、2㌔弱ある坂道でした。当時の私の足ではかなり時間がかかりました。その途上で、祖母の声が、聞き慣れない声に変わりました。
 南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。「松太郎もお題目を唱えてみ」と言われ、私も「南無妙法蓮華経」と唱えてみました。すると、お婆さんが「じょうず、じょうず」と言って褒めてくれて、2人でお題目を唱えながら坂道を登っていきました。そしてお寺に行くたびに、ご宝前でお題目を唱えて手を合わすようになりました。
 昭和17年、私は幼稚園生。2歳の弟と生まれたばかりの妹がいました。この年に太平洋戦争が勃発しました。父は戦地に出征、空襲が始まり、大阪では危ないということで、昭和19年に母の里・愛知県へ疎開して小学校に入学しました。この年の夏に、艦載機の襲来を受けましたが、運良く助かりました。これもお題目のおかげと感謝しています。
 終戦後、再び大阪市城東区に戻ってきました。昭和20年12月に父も無事帰還しましたが、仕事の関係で京都府舞鶴市、愛知県知多市と転居をくり返しました。そして再度、大阪市旭区に戻りました。そこで父は昔のような大きな店ではなかったのですが、荒物屋を再開しました。そこで2人の妹が生まれ、私は5人兄妹になりました。私は大学を卒業して就職し、家庭を持って幸せに暮らしていますが、他の弟妹もみな健康で幸せな暮らしをしています。
 幼少の頃に、祖母から教わった南無妙法蓮華経のお題目はずっと変わらず崇拝すべきものになっています。ありがたいお題目を頂戴したお礼として、私は菩提寺の護持会長を務めさせていただき、お寺の行事には必ず出席しお手伝いをさせていただいています。
 これまでに体調を崩すことも多く、いのちを落とすような危機を何度も体験しました。18歳の時の蓄膿症の手術を皮切りに、盲腸、鼠径ヘルニア、前立腺癌の手術をしました。交通事故ではスクーターでの通勤の途中で車と接触して飛ばされたり、軽自動車に乗っていた時の大型トラックとの側面衝突。地下街では30段の階段からの転落。何度もいのちを失いかねない出来事に遭いました。今こうしていられるのも、すべて南無妙法蓮華経のおかげ。この感謝の気持ちを菩提寺への奉仕で表していこうと思っています。
 私の心の中には、幼少の頃に祖母に教えてもらったお題目がいつもあります。何かあったら南無妙法蓮華経が自然に口から出ます。今や80歳になりましたが、お題目とともに人生をまっとうしたいと思っています。

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