だんしんきょう 平成26年 11月号

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変わりゆく葬儀のかたち
 
全国檀信徒協議会
常任委員 山口 萬敏 氏
 
 私の住む伊豆の山間部の集落の葬儀の話です。昭和30年代、40年代では、地区の人が協力し合って葬儀を執り行っていました。葬儀に当たった班は朝から公民館に集まります。班長ではなく、年配者が指揮をとり、葬儀の準備にかかります。縄のように稲束をすぐり(ゴミを取ってきれにすること)、飾り物を作る人や生花(主にシキミ)を差し込むように竹を切って作る人、天蓋に金銀の紙を貼る人、4本の竹に旗をつける人などをその場で決め、大勢で一斉に仕事をしたものです。
 作業中は、故人と縁のあった人たちが故人を偲びながらみんなで思い出を語り合ったりします。そして葬儀時間までにできあがっものを、そのお宅に届けたものです。葬儀出棺の時は、地区の半分の人が一部の物を持って整列を組み、お寺に行って約1時間の法要を営み、終わると寺の庭を3回まわり埋葬したものでした。
 当時は土葬でしたが、昭和30年代後半くらいからでしょうか、火葬になりました。日本経済の高度成長期とあいまって、火葬になった頃からはお墓もすばらしくなり、高価なものに変わりました。そしていつのころからか、葬儀の様相も変わり、現在ではセレモニーという葬儀ホールで行われることが一般化しました。駐車場が完備され、広い会場での葬儀は確かに楽なのでしょうが、私は今一度、お寺でのお通夜や葬儀を見直してみてもいいのではないかと考えます。
 私の家で葬儀を出したときはお寺を利用しました。住職から「お寺をお使いください。本堂にはいろいろな飾りもありますし、故人にもそのほうがよろしいでしょう」とおっしゃっていただきました。その後、数軒がお寺で葬儀を営みましたが、今の時代はお寺での葬儀は少数派です。
 お寺での葬儀には、確かに手間がかかります。協力してくれる人がいなくてはできません。一方で葬祭場での葬儀はお金はかかりますが、親戚や地域の方に負担をかける心配はありません。しかし故人になられた方への思い出などを語る場になりにくいとも言えます。このような葬儀のあり方では、田舎といえども親戚や地域の人との関係を薄くし、将来的に家族葬化への移行に結びつくのではと危惧いたします。
 昔の葬儀のあり方は、手間がかかり、人さまに世話にならなくては執行しえないものでした。しかしだからこそ、親戚間のつながりや地域のつながりを強める機会になっていたとも思います。親戚間の関係や地域コミュニティーの薄れが葬儀を変えたのか。あるいは逆に葬儀の変化が地域コミュニティーの希薄化をもたらしたのかはなんともいえません。しかし、かつてはお寺や葬儀がコミュニティーの一つの核になっていたことは確かでしょう。
 みなさんの地方ではどのような葬儀が行われていますか?
 「寺離れ」が心配される今、もう一度お寺での葬儀を見つめ直してみてはどうでしょう。

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