だんしんきょう 令和7年 6月号

開催日:2025年06月01日

法華不毛の村に華を咲かせた父

山崎長吉郎氏
福井県北部檀信徒協議会副会長
福井市妙長寺総代
昭和11年3月14日生まれ
趣味:写真撮影、カラオケ

お題目で送ったこの上ない看取り
父の遺志を継ぎお題目弘通

 私の父は15歳で母の実家に養子に入り、山﨑長右ェ門となりました。山﨑家では当主が代々若くして亡くなりました。「どうしてこの家には不幸が続くのか」と父は思いあぐねていました。そんなとき、近所の老女が福井市内の法華の行者のところに修行に行っていることを聞きました。山﨑家の菩提寺は他宗派でしたが、藁にもすがる思いで、その老女に同行してお参りをしました。それが山﨑家と妙法との縁結びとなりました。
 父は法華経を学び、家がうまくいかないのは先祖が成仏できていないからだと確信しました。それからいっそうお題目修行に励みました。そんな父に日蓮宗徒のいない村の人たちは冷たく、村八分にされたそうです。それでも父は「法華経・お題目の有り難さを知らないのだから無理もない」と思い、敵対することもなく過ごしました。
 すると父を理解する人がぽつぽつと現れ、同郷の6軒とともに福井市妙長寺の檀家となり、法華不毛の村に法華の華を咲かせました。お題目との出会いから改宗まで10年かかりました。
 そんな父と母に連れられて、私も幼いころから妙長寺にお参りするようになりました。私の弟や妹も同じように、両親に連れられてお題目と縁を結びました。やがてそれぞれが結婚して、新しい家族ができると、みんながお題目で繋がりあうことになりました。
 その端緒となった父は平成10年に大腸がんにかかり手術をしました。術後に体調が急変して、家族や親族が病院に急行しました。みんなでお題目を唱え、手足をさすり続けました。すると父の左目に涙が浮かんできました。これはみんなのお題目への感謝、長年続けてきたお題目修行へのお礼のしるしでした。その5分後に亡くなりましたが、親族みんなのお題目で父を霊山浄土に送れた、この上ない看取りとなったと思っています。
 父の死後、1年もたたないうちに、妙長寺の山内是正住職から、妙長寺総代就任の要請を受けました。大勢の大先輩がいるなか、私のような者が総代に就くのはおこがましいと思いましたが、亡き父の代わりとしてお受けすることにしました。とても身が引き締まる思いでした。そしてその10年後には、福井県北部檀信徒協議会の副会長に推薦され、今日に至ります。亡き父を継いで、1人でも多くの人に法華経の教えとお題目を伝え弘める使命を果たさなければと思っています。
 近年になりまして、日蓮宗だけでなく他宗派もふくめ、参拝者が減っているようです。菩提寺・妙長寺でも檀信徒の行事への参加が減少しています。檀信徒協議会でも、なにか対策を講じなくてはと思っています。寺院(僧侶)と檀信徒が力を合わせ、お寺を護って信仰に励んで、お寺の活性化を目指していきましょう。

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