髙橋 俊一 氏
宮城県檀信徒協議会事務局長
仙台市法輪院世話人
昭和14年10月21日生まれ
趣味:釣り、釣り仲間と交歓
平成2年9月30日、私がお寺と関わりを持った日、父が亡くなった日なのです。
その日は日曜日で朝のラジオが「台風が近づいているので、お出かけには注意を」と呼びかけていました。それにも関わらず、釣り好きの父は朝方まだ雨が降っていないの幸いと、おにぎりを作って出かけたのです。
夕方になって風雨が強まってきたのに父は帰ってきません。心配になって懇意にしている釣り竿屋の親父さんに事情を話して探しに出かけました。心当たり2、3ヵ所を探し歩いたのですが見つかりません。風雨が強くなり、私たちだけでは手に負えないと判断し、警察の助けを借りて捜索をしました。夜10時過ぎに乗っていた車を発見。その付近に釣り道具が見つかり、その先に帰らぬ人となった父の姿がありました。
当時、父と私は洋服の販売を生業としていました。私は販売の方を主に担当し、父がサイフを握って問屋からの仕入れ・支払いなどを担っていました。経営の根幹を担っていた父の突然の死は、私に大きな衝撃と動揺を与えました。
そんな私の様子に気づいて、声を掛けてくれたのが菩提寺・法輪院の住職、後に東北の本山孝勝寺の第52世貫首となった河上錬章上人だったのです。「髙橋さんは寺の近くなのだから毎朝寺に来て私と一緒に朝のおつとめをしなさい」と言ってくれたのです。それから毎朝6時に間に合うように寺に行き、お上人の後に座ってあげるお経に耳を傾けていたのです。
最初は正座するのが辛く、10分も座っていられませんでした。経本を見ていても、お上人の読んでいるところがわからず、経文を追うのに必死でした。そんな状況で始まったものが、1年たち2年過ぎ5年たい10年が過ぎ、そして今年で28年目となります。
やっとこの頃、経本を見ないでお経をあげることができるようになりました。経本ひととおりあげるのに20分かかるのですが、やっと腹が据わり心が落ち着くというか、ゆとりのようなものを感じるようになりました。その心のゆとりは、日々の生活の中で判断を間違わないようにし、人に対する思いやりの心も生んだような気がするのです。
昨今、少子化、核家族化、そして若者の都市集中の時代の流れの中で、寺離れが叫ばれています。お寺の方でも若い住職が中心になっていろいろアイデアを出し、寺子屋活動や寺でのコンサートや落語会の催しなど、人集めに一生懸命です。ですが私の菩提寺でも墓を守る人いなくなったために、空き墓地がぽつぽつと目につくようになり、諸行事でも昔のように人が集まらなくなり苦慮しています。
物が豊富になり、生活が豊かになったのは紛れもない事実です。しかし終戦後の自由と個人の尊重を重んじた教育の中で私たちが失ったものもたくさんあります。物のない時代にお互いが助け合い、力を貸しながら、共に生きてきた心の有る時代、そんなものが薄れてきているのを強く感じます。
生きている限り、悩み・苦しみはつきものです。そんな悩み・苦しみをお寺ではき出し、お寺が私たちにとって心の拠り所となるように目指していきたいものです。