10月12日 池上お会式(1泊参拝)を行いました。
文永十一年より甲斐の国(現在の山梨県)身延山に住まわれていた日蓮聖人は、建治三年頃より下痢などを患い、食欲不振も重なって次第に衰弱されていきます。
山梨県の山奥ともなれば、秋冬には大変な寒さとなり、衰弱されたままでは秋冬の寒さを乗り越えられないのではと弟子・信者に案じられた日蓮聖人はその勧めに促され、常陸(現在の茨城県)に湯治へ向かう為、身延をあとにされます。
向かう途中、池上宗仲公の邸宅(現在の大田区池上)に着く頃には、自身で手紙を書くことも出来ないほどに衰弱され、その先へは進むことが出来なくなりました。
自身の臨終の近いことを悟られた日蓮聖人は、池上邸から動くことを止め、留まって静養されながら、病状を案じて駆けつけた弟子や信者の為に『立正安国論』を講義し、後事を託す高弟を定めるなど、病床においても後の世のことを思い、人々の為に尽くされます。
弘安五年(1282)10月12日、いよいよ臨終の近いことを悟られると、北に向かって座り、御曼荼羅を掛け、近くには持仏である立像の釈尊像を安置して、読経が誦され、翌13日の朝(午前8時頃)、弟子・信者の読経の声の中、静かにご入滅なされました。
この時池上邸では、高弟である日昭上人が打ち鳴らす、臨滅を知らせる鐘の音が響き渡り、庭前の桜には時ならぬ花が咲いたと伝えられております。
日蓮宗では、10月13日の日蓮聖人の忌日をお会式と呼び、古くから法会を営み、万灯行列などでの参拝が行われております。
10月初旬から11月中旬まで各地の寺院では御会式報恩会が営まれますが、ご入滅の地である池上の御会式は特に盛大で、各地の寺院から万灯講中が結集します。池上本門寺では10月11日から13日の3日間に5座の法会が営まれ、安立寺からも住職・副住職が出仕をさせていただいております。
池上本門寺のお会式は特に有名で、忌日にご遺徳を偲んでしめやかに行う法会ばかりではなく、前夜であるお逮夜には全国各地の寺院より万灯講中が訪れ、数十にも連なって、太鼓を打ち、鉦を鳴らして唱題行脚し、また道々には出店が出て、まるでお祭りさわぎのようなにぎやかさがあります。教えに触れた喜びを表現し、法灯を受け継ぎ、残された私たちも元気に生活しています、ご安心くださいという気持ち・姿を日蓮聖人に見ていただいているようでもあります。
12日の入滅前夜であるお逮夜には、一晩に30~40万人が参詣し、東急池上線の池上駅から本門寺大堂までの道は参拝者と万灯行列で埋め尽くされ、寒さも吹き飛ぶほどの熱気で、終夜太鼓の音が鳴り止みません。
翌13日の朝には、臨滅度時法要が営まれ、大堂は参拝者でいっぱいになり7時より法話、3日間中最も多くの僧侶が出仕し、法要の最中8時には静寂の中、池上本門寺山主によって臨滅度時の鐘が打ち鳴らされ、日蓮聖人のご遺徳を偲びます。
お逮夜での盛大な万灯行列も、臨滅度時法要での荘厳さ、静謐さも、その時その場所でしか体験出来ないものです。
池上本門寺には参籠(宿泊して参拝すること)が出来る朗峰会館があり、安立寺ではそちらに1泊し参拝をいたします。朗峰会館での入浴は出来ませんし、翌朝は早朝の起床になりますが、ぜひ参拝し、体験していただきたい大きな行事であります。