子どもが、なにか悪いことをしたので叱った後に、
「悪いことしちゃった‥、もうダメなのかな‥?」
と、このように言っていたらどんな風に答えますか?
きっと、
「‥ううん、そんなことないよ、きちんと反省をしたら、今度はそれをしないようにして、もっとたくさんの良いことをしていれば、大丈夫!」こんな風に答えるのではないでしょうか。
ではこのような答え方、いったい誰が始めたのでしょう?
仏典には最古層に入るものの中に、『ダンマパダ』、日本語で「真理のことば」と訳されるお経があります。400以上の詩句からなる『ダンマパダ』ですが、その中の一つにこのような詩句があります。
「以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。―雲を離れた月のように。」
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
子どもは成長とともに、悪いことをした時に暗い気持ちになることがあります。
「悪いことしちゃった‥」
なぜこのような気持ちになるかといえば、物事を理解し始め、反省することを覚え始めているのでしょう。
こんな時にさらに叱られれば、なおのこと悲しい気持ちになってしまいます。
親は、子どもが反省しているか、その表情や態度を注意深く観て、反省しているのであれば優しく言ってあげたいものです。
「悪いことをしたのが分かったのなら大丈夫、ちゃんと謝って、今度からは良いことをたくさんしようね」
子どもが反省しているのかどうか、注意深く観ていても分からない時だってあるかもしれません。
そんな時はぜひ、子どものこころを信じてあげましょう。
どんな人の中にも、良いこころと悪いこころがあります。気持ちの揺れ方は人それぞれですが、悪いこころの時ばかりがずっと続くということもないのです。
必ず、良いこころも起こります。
「‥○○ちゃん、今叱ったのはね、こういうことをしたら、こんな風に悪いから、言ったの。悪いことをしていると○○ちゃんもみんなも、つまんなくなっちゃうから、みんなで楽しくなるように、今度からは良いことをたくさんしようね。」
日蓮宗が拠り所としている経典、『法華経』は、絶対肯定、絶対に人を信じるお経ということが出来るでしょう。
それまで悟りを得ることが出来ないと説かれていた者たちも、悪行をなした者も、必ず成仏すると説くのです。
どんな者の中にも、仏と成る種が備わっている、「以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。―雲を離れた月のように。」
きれいに月が輝いていても、雲がかかっていてはその光は遮られてしまいます。雲を離れさせる力となるものはなんなのでしょうか。
写真は、2月7日時点の鐘楼堂前の紅梅です。
寒い時期を乗り越え、芽も隠れ、枯れ木のようにさえ見えていた紅梅も、今では花を咲かせ、満開になりました。
雲を離れさせる力、子どものことを考えるのなら、まずはそのこころを絶対に信じるということなのではないでしょうか。
子どもだってずっと信じられていれば、きっとそれに応えようと動き始めるはずです。
子どものことです、疑っているよりも、信じている方がよっぽど親らしいとは思いませんか。
少しずつ少しずつ、つぼみを開かせて咲いてゆく、紅梅のように。