お盆 ・ つなげていきたい「心」と「気づき」

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お盆は、正式には「盂蘭盆会」(うらぼんえ)と言います。
 
遠い昔、お釈迦さまの弟子に神通力第一といわれる目連尊者がおりました。
目連尊者はある時、亡くなった母がどうされているかと思い、神通力を使って探してみると、地獄に近い餓鬼界にみすぼらしい姿で飢餓にさいなまれ苦しんでいる母を見つけます。目連尊者はすぐに助けようと食べ物を与えますが、その食べ物はたちまち火に変わり母を苦しめてしまいます。
慌てて水を差し上げて火の苦しみから救おうとしますが、水は油に変わったかのように火の勢いを増し、余計に苦しめてしまいました。
手の施しようがなくなって目連尊者は、お釈迦さまに母の苦を救う方法を乞うと、「僧たちの修行(雨安居“うあんご”)が終わる時に百味の飲食“ひゃくみのおんじき”を僧たちに供養すれば、必ず母は餓鬼界の苦しみからのがれることができる」と教えられました。
目連尊者はその教えの通りにご供養し、これによって母を餓鬼界の苦しみから救うことができました。
 
この仏教の教えにより、日本に仏教が伝わってから少し後、推古天皇の時代(606年頃)より、寺ごとに斉会を設けてご供養を行いました。
これが「盂蘭盆会」、お盆の始まりです。
 
お盆には、各家々で仏壇を飾り、お墓を清掃してきれいにし、ご先祖さまにご供養をいたします。
 
突然ですが、128人という人の数を想像できますか?
 
一般的な電車の車両において(タイプにもよりますが)、新聞が立って読める程度の込み具合の時、一両に乗れる最大の人数は100~130人程だそうです。
 
お盆の時期によくお読みする日蓮聖人のお言葉の中に、「~上七代、下七代~」(かみしちだい、しもしちだい)というお言葉が出てきます。
 
上七代とは、自分から先祖を辿って七代さかのぼる、自分には両親がいて、その両親にもそれぞれの両親、自分から見たら祖父母がいる、その祖父母にもそれぞれ両親がいて、それから・・・・と。
七代さかのぼると、2の7乗、128という数になります。
たとえば七代さかのぼっただけでも、今生きている自分1人にたいして128人のご先祖さまがおられます。
それぞれの時代に、それぞれの苦労をしながら、愛情を込めて子どもを育ててくださった、そんな苦労と愛情が少しでも欠けたならば、今生きている自分は存在していなかったかもしれない。
「いのち」とはそのようにかけがえのない、尊いものなのです。
 
普段電車に乗っていると、その車両にどれくらい人が乗っているかは意識もしません。
日常を忙しく過ごしていると、自分の周りしか見えず、自分の「いのち」、人の「いのち」がどれほどかけがいのないものか、尊いものかということを見過ごしているかもしれません。
 
ご先祖さまを大事に出来る人は、自分を大事に出来る人。
そして、人を「いのち」を大事に出来る人です。
 
下七代、仮に自分の子ども、子孫たちが平均2人の子どもを育てていくと、七代後には128人の子孫になります。
 
ご先祖さまを大事にすること、自分や人の「いのち」を大事にすること。
 
これから先もずっと、つなげていきたい心と気づきだと思います。

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