横浜まで、日帰りで法事に行ってきました。
誰の法事かというと、先代住職の兄弟弟子であり、従弟にもあたる方の二十七回忌です。
先代住職は若い頃、横浜にあるこのお寺で出家をし、僧侶として多くのことを学びました。いわば、先代にとっての原点ともいえるお寺です。
生前、先代はこの二十七回忌のことをずっと気にかけていました。
いつも座っていた机には、その方の命日と法号が書き留めてありました。
「この法事だけは絶対にお参りしたい」
そう何度も口にしていました。
その言葉は、法事を大切に思う気持ちはもちろんですが、どこか「その日までは絶対に生きるんだ」と、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえていました。
けれど、遷化する少し前。
「俺が行けなくなったら、代わりにお参りしてきてくれよ」
そう私に託しました。
この日は、どうしてもその日のうちに北海道へ戻らなければならない都合があり、横浜までの日帰りとなりました。
それでも、ただ私一人で行く気にはなれませんでした。
先代が使っていた衣を着て、数珠を持ち、時計を身につけ、そして法事へ出かける時には必ず締めていたネクタイを締めました。
少しくらいは、一緒に連れて行けたでしょうか。
法事では、昭和六年生まれというご高齢の方にもお会いすることができました。
「あなたのお父さんに、このお寺で書道を教えていたのよ」
そんなお話を聞かせてくださいました。
また、昔、先代に車で何度も迎えに来てもらったという遠い親戚の方にもお会いできました。
私の知らない父の若い頃。
私の知らない修行時代。
私の知らない人とのつながり。
たくさんの昔話を聞かせていただきました。
不思議なことに、皆さんが先代のことを話す時、同じような二つの言葉を口にされました。
「優しかった」
そして、
「でも、不器用な人だった」
その通りだと思いました。
父を表すなら、この二つの言葉はとてもよく似合います。
器用に立ち回る人ではありませんでした。
思っていることを上手に言葉にできないこともありました。
誤解されることもあったでしょう。
それでも、人に対して優しい人でした。
人は亡くなったあと、何を残すのでしょう。
肩書きでも、財産でも、立派な言葉でもないのかもしれません。
何十年経っても誰かの口から、
「あの人は優しかったね」
そう言ってもらえること。
それは、とても尊い生き方なのだと思います。
私は、父と同じように不器用である必要はありません。
できればもう少し器用に生きたいとも思います(笑)。
でも、
「優しい人だった」
いつか自分がいなくなった後に、そう思ってもらえる人ではありたい。
先代が行くことのできなかった法事に、先代の衣をまとってお参りし、知らなかった父の姿をたくさん教えてもらった一日。
父の代わりにお参りに行ったつもりが、
最後にはまた、父から一つ教えてもらったような気がしました。


