お盆で忙しいだろうからと、妙法寺のある檀家さんの奥様が、手作りのおそばを届けてくださいました。
しかも、ただのおそばではありません。
お稲荷さんの皮に、おそばを包んだ珍しい一品。
手間のかかった「そばいなり」です。
お盆のお寺は、朝からお参りの方が次々と来られます。
ありがたいことですが、なかなかゆっくり昼食をとる時間もなく、パンやおにぎりで済ませることもしばしば。
そんなところへ、この差し入れ。
まさに、
渡りに船を得たるがごとく
暗闇に灯を得たるがごとく
お盆に、そばを得たるがごとく(笑)
ありがたく頂戴しました。
でも実は、この方がこうして食べ物を届けてくださったのは、今回が初めてではありません。
五月に先代住職が遷化した際、泉水家は葬儀や弔問の対応、そのほか様々なことに追われ、家族の食事を作る時間もなかなかありませんでした。
気がつけば、コンビニのお弁当ばかり。
そんな時、この方は弔問に来てくださっただけではなく、わざわざおかずを作って届けてくださったのです。
もちろん、お参りに来てくださることもありがたい。
けれど、それ以上に嬉しかったのは、
「今、この家族はきっと大変だろう」
と、こちらの暮らしにまで心を寄せてくださったことでした。
そして今回のお盆にも、また同じように。
こういう姿を見ると、その人がこれまでどのように生きてこられたのかが、少し見えるような気がします。
きっと、お寺に対してだけではないのでしょう。
困っている人がいれば手を差し伸べ、忙しそうな人がいれば何かできないかと考える。
そんなことを、ご縁のある人たちに自然としてこられた方なのだと思います。
そして、その姿はもしかすると、その方の親御さんから受け取ったものなのかもしれません。
子どもは、親の言葉以上に、親の姿を見て育ちます。
誰かを思いやる姿。
人に施す姿。
困っている人に手を差し伸べる姿。
私たちの今の姿の中にも、父や母、祖父母、そしてご先祖から受け継いだものが、きっと息づいています。
お盆は、ご先祖に感謝する時。
けれど同時に、
「自分は今、どんな姿で生きているだろう」
と、自分自身を見つめ直す時でもあるのかもしれません。
ご先祖からいただいた命を、
いただいた優しさを、
今度は自分が誰かに渡しているだろうか。
そんなことを考えながら、
ありがたい「そばいなり」を三口ほどで頬張り、
また納骨堂のお経へと戻った、お盆の妙法寺でした。


