12月21日、「仏教死生観研究会」のブログに当方の原稿が掲載されました。こちらにも転載します。
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「あなた、目が見えてないですよ!」
2019年2月7日、視力検査の際に担当者から指摘されました。
「目が見えてないってどういうこと? 確かに老眼で見えにくいけど……」
全く自覚症状はなく、すぐに眼科で検診を受けるよう勧められ、翌日に軽い気持ちで検査へ。
すると、検査後にドクターが深刻そうな面持ちで、
「突然のことで驚かれるかもしれませんが、脳腫瘍の疑いがあります。紹介状を書きますから、すぐに脳神経外科に行って精密検査を受けて下さい」
と言われ、いったい何が起こったのだろう? 何かの間違いじゃないの? と思いながら、その日のうちに紹介された脳神経外科に行きました。
CT検査の結果、ドクターから、
「あなたの脳の中に大きな腫瘍があります。肥大化が進んでいますので、うちではこれ以上対応出来ません。H病院の脳神経外科で再受診して、すぐに手術を受けて下さい」
まさに急転直下、それまで扁桃腺の手術で1週間入院したことがありましたが、まさか自分が脳腫瘍になっていた、というのは晴天の霹靂でした。
脳腫瘍と診断されて直感的に感じたのは、
「ああ、もしかしたら自分は脳腫瘍で死ぬのかもしれない」
「いや、今すぐ自分が死んで許される状況ではないし、困ったな……」
「でも、今自分が抱えている苦悩から解放されるのであれば、死ぬのも悪くない」
「待てよ、もしそうだとしたら身辺整理も始めないといけないのか……」
というような、複雑な思いでした。
それまで大きな病気もしたことがなく、健康であると過信していた自分にとって、想像もしていなかった体験だったのです。
だからと言って、自分で何か対処することも出来ません。自らが置かれた状況を頭の中で整理することも困難だったことを覚えています。
最初の視力検査から6日後、H病院で精密検査を受けました。主治医となったドクターは、検査結果の画像を示しながら、
「あなたの病名は、下垂体腺腫です。脳の中の下垂体というところにある大きな腫瘍が視神経を圧迫して、視野が欠けている原因となっています。治療方法としては、経鼻的手術により腫瘍を除去することになります。お忙しいとは思いますが、3月上旬に手術なので、2月27日から入院して下さい」
と診断・指示されました。ただ腫瘍自体は良性で、下垂体腺腫は適切な手術をすれば今すぐ死に直結する病気ではない、ということも伝えられました。
少しホッとしたと同時に、入院の日が近づいてくるにつれ、体験したことがない大手術に臨むことになった現実を受け入れられない自分がいたのです。
数日後、そんな私の頭の中に、ふと日蓮聖人の『弥源太殿御返事』のお言葉が浮かんできました。
【法華経は三世の諸仏発心のつえ(杖)にて候ぞかし。但日蓮をつえ(杖)はしら(柱)ともたのみ給べし。
けはしき山、あしき道、つえ(杖)をつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろぶ事なし】
「ここまで来たら、まな板の上の鯉。こんな時こそ法華経と日蓮聖人を、杖・柱と信じて我が身をお任せするしかない」
という、ある種の覚悟のような気持ちです。
もちろん不安な気持ちが解消するわけではありませんでしたが、信仰の力によって心の持ち方を整え、3月4日に行われた手術に前向きに臨むことが出来ました。
私は自分自身の闘病経験を通じて、四苦八苦という私達が生きている限り逃れられない苦しみも、けして一人で立ち向かうのではなく、お釈迦様や祖師の教えを支えとして向き合うことの大切さを再確認させられた気がします。
それから4年後に初めて受けた「死の体験旅行Ⓡ」は、お陰様で視野も回復して通常の生活が出来るようになり、健康であることの尊さを忘れがちになっていた私にとって、当時のことをリアルに想起させてくれるとても良い体験になりました。
当たり前のように健康な生活をしていると、死を身近に感じる機会はめったにありません。
しかし、自分だけでなく身内や友人など大切な人を亡くしたり、難病や事故で生命の危機にさらされる可能性は誰にでもあります。
このブログをご覧になられる皆様が、生と死を考えるきっかけとして、1人でも多くワークショップに参加されることを願っています。