身支度の後 ❜20

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齢80を迎える父母は、ここ1~2年、住み慣れた自坊の内外で「身支度」をしている。

衣装棚を整理したり、熱心に世話をしていた庭の花壇を小さくしたり、 古いアルバムを引っ張り出して人物関係を解説し始めたり、2人で仲睦まじく金融機関に行ったまま、滅多にしない外食をして帰って来たりもする。今 までの日常とは些か異なる日常を過ごし、例えば、環境の変化を嫌い画一的になりがちな老人の行動パターンを踏襲せず、明らかに共通の目的を持って、老夫婦にとっては今までとは違う行動を取っているのである。

2012年12月「更賜寿命」(京都いのりんぴっく) 

あれから8年、前回の投稿から更に2年が経った。 今年卒寿を迎えた悲母と、間もなく米寿を迎える慈父は、 有り難いことに今もなお生き永らえ家族と生活を共にしている。

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(以下、当時のHPより抜粋)

「健在」とは到底言えない状況である。足腰は明らかに弱り、生活範囲はかなり制限される。特にメンタル面の低下が著しく、近時的なメモリ(記憶)はもとより遠隔的(長期的)な記憶もかなり危うい。
社交的で、お話し好きで、進んで外へ出ることが多かった母は、ここ2~3年で急激に視力が低下し、記憶も曖昧となり、日々「置き忘れた物を探すこと」に時間を費やさねばならなくなった。気分の浮き沈みが激しく、イラついては、周囲に当たることが多くなった。

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一方の師父は、穏やかなカーヴ。砂に遺した記憶の痕跡が、風に吹かれてサラサラと消え逝くように欠け落ちて行く。日に日に風力が増し、もはや上書きもされず、同じことを半日繰り返している。
こちらには「忘れ行くことへ焦り」が微塵も無い。行先に向かっているうちに何処を目指すかを忘れ、何度もUターンすることがあっても、めげない、落ち込まない、怒らない。これも一種の達観であろうか。

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アップダウンなお祖母ちゃんと、フラットなお祖父ちゃん。与えられし天寿、更に賜りし時間が、家族の記憶と共に徐々に失われつつあるのは確かなこと。
3人の孫たちは、これをどう受け止めているか。老夫婦の理想のイメージは壊れ、人が変わりゆく様をどのように感じるか。そんな心配をした。

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一番下の長女(小2)は、時折発せられる祖母の激しい口調に身を固くするが、すぐに側に寄って手を携える。長男(中3)や次男(小4)も、戸惑いながらも病気を理解し、ハラハラしながら寄り添ってくれている。私たち夫婦が教えた訳ではなく、3世代の生活の中でこそ学べたことがある。

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また、お寺で葬儀を執り行うようになり、葬儀の朝には子ども達と一緒に祭壇の横でお勤めをする。子ども達の日常の中で、「人の死」というものが身近に感じられるようになった。何時かは、いや近い将来、祖父母との別れが訪れることも知っている。

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この先、幾ら人が変わってしまっても、これまで愛情を注いでくれた祖父母との生活があればこそ、心は幼くとも、弱きを思い遣り、素直に寄り添うことが出来るのではないだろうか。

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テストの点数や運動会の成績を手放しで喜んでくれた時。
親は手が離せず、インフルエンザの枕元にずっと付き添ってくれた時。
感情的になった親から庇ってくれた時。
音読の宿題を聴いて、親が付けてくれないハナマルをいつも付けてくれた時。
クリスマスは無視されたけど、お正月のポチ袋をちゃんと用意してくれた時。
そして、集中治療室で今にも死んでしまいそうだった時...

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そんなことを、大人よりもずっとずっと鮮明に、子ども達は覚えてる。。。

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