秋庭敏範 氏
昭和22年2月13日生まれ
青森県管区檀信徒協議会長
青森市妙覚寺責任役員・護持会長
趣味:ゴルフ、書道、刻字
私の菩提寺は昭和22年(1947)開山の青森市妙覚寺で、開山上人は阿闍梨工藤日現上人のお寺です。日現上人は、日蓮宗加行所(大荒行堂)で副伝師を始め8回成満・円成し、現在の第3世工藤泰輝住職は第4行で、祖父・父と3代続けて名誉ある加行所全堂木鉦師となった祈祷寺です。
拙宅からお寺・お墓まで1分という環境の中で育った私は、祖母が開山と同時に日蓮宗に改宗し、檀信徒として幼い私を行事のたびにお寺に連れていってくれました。父は総代として護持会長を50年以上続け、亡くなる86歳までお寺に尽くしていました。母も婦人部長として、和讃を率先して行い、毎日朝夕のお経とともに唱えていました。
20代後半の頃、私は父から「神奈川県鎌倉市長勝寺の久村日鑒住職を訪ね、日蓮聖人松葉谷草庵跡地内に建立してもらった妙覚寺有志一同の公徳碑のお礼に行け」といわれました。この碑は当時、妙覚寺の責任役員だった故・館山與作氏を代表する人たちの公徳を称えて、久村上人の配慮で建立されたものです。この公徳碑には妙覚寺檀信徒約30人の名前が刻まれ、私の名前もあります。
「青森の妙覚寺からきた護持会長の息子です」と前もっての連絡もなく長勝寺を訪ねた私ですが、久村上人は親身に接してくれました。「いつも利用している鎌倉の銘菓屋さんに頼んですぐに焼いてもらったから」とおっしゃり両親と家内用にと銘菓3箱をお土産にいただきました。心温まる久村上人の配慮に感激し、言葉にならずその場で合掌礼拝をいたしました。
礼儀知らずの若輩者にまで心を砕いていただき、この出来事を通じて日蓮宗に対する信頼と信仰心がさらに深まりました。その後も、久村上人には42歳の厄払いに「無一物無尽蔵」の掛け軸を揮毫いただき、家宝として33年たった今でも仏間に掛けてあります。
最近では全国檀信徒協議会総会の開会式次第のなかに「妙法蓮華経常不軽菩薩品第20」の24字が必ず記載されています。いま思い返すと「常不軽菩薩」を知り、どんな職業の人にも分け隔てなく接することを久村上人が身をもって教えてくれのだと得心しました。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は「妙法蓮華経常不軽菩薩品20」を手本としたことで知られていますが、いのちの大切さを噛みしめながら、祖母・父母・私・子・孫と持続継承の努力をしていこうと思います。あわせて日蓮宗門が発展し、布教方針である「合掌」が檀信徒に普及して、どんな人にも敬いの気持ちをもって、戦争のない明るい社会になることを願ってやみません。