齋藤 高藏氏
全国檀信徒協議会常任委員
栃木県檀信徒協議会長
宇都宮市妙金寺総代
昭和24年8月10日生まれ
■寺の役員として
私の菩提寺は栃木県宇都宮市の妙金寺で、父は檀家総代を務めていました。その前のことはよくわかりませんが、古い檀家であることは確かです。
父は私が26歳のときに亡くなりました。そのため跡取りとして早い時期からお寺との交流があり、後に私も総代を務めさせていただくことになりました。長くお寺とのつながりを持った立場から見えてくる心配事といえば、やはり少子化の問題と次世代のお寺離れのことです。
長い目で見れば少子化は社会の活力を減退させることになります。お寺にとっては檀信徒の減少にもつながります。この社会の流れは、私たち檀信徒やお寺ではどうすることもできない問題です。しかし次世代のお寺離れの問題は、お寺と檀信徒が連携をとってお寺の魅力やお寺のありがたさをアピールすることで、ある程度は対応できるのでは考えます。
私の菩提寺では、12年ほど前に住職が世代交代しました。新住職と副住職が中心になって月に1回、祈祷会を営んで檀信徒が集まります。そして法要の後はゆっくりと懇談の時間をとっています。また、寺報として月刊で『鴛鴦』を発行して、妙金寺のことだけでなく日蓮宗や他の寺のこと、社会の話題などを発信して、次世代を含め良好な関係を築くべく努力をしています。そんな住職をしっかり支えていくことが総代をはじめとする寺の役員の務めだと感じています。
■いのちに合掌
日蓮宗では「いのちに合掌」をスローガンに15年間にわたって宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」を展開してきました。
私は父を早く亡くしたからかもしれませんが、ことあるごとに墓参りをしてきました。父の「いのち」があったからこそ私の「いのち」がある。その父の「いのち」も祖父母の「いのち」があったればこそ。綿々とつながる「いのち」の先に自分がいるのです。「いのちに合掌」とはつまり、自分に「いのち」をもたらした、すべての「いのち」に感謝を捧げることだと私は理解しました。
誰もが持っている「いのち」ですが、それについて深く考えることは意外と少ないことと思います。私にとってこの宗門運動は「いのち」についていろいろと考えるきっかけとなりました。そしてお寺、お墓、仏壇は「いのち」のつながりを感じさせてくれる大事な場所であり、心の安らぎを与えてくれる場所であることを改めて知ることとなりました。
こういった経験を若い人に話すことは、お坊さんのお説教とは一味違うお寺離れ対策になるのではと思います。信仰の継承は大事ですが、今の時代ですから心の問題である信仰を強要することはできません。仏さまの教えに基づいた浄い行いや考えを根気よく実行し、その背中を見せる。そして経験者としてその話を次の世代に語り伝えていこうと思っています。小さな努力かもしれませんが、その先に「安穏な社会づくりと人づくり」があると信じています。