川部 修 氏
愛知県三河檀信徒協議会長
西尾市妙恩寺総代
昭和23年12月19日生まれ
趣味:旅行、読書、軽いスポーツ
私の菩提寺は愛知県西尾市の鶴城山妙恩寺です。西尾市は人口約17万人の地方都市で、抹茶とうなぎの養殖は全国有数。また、忠臣蔵で有名な吉良町もあります。妙恩寺は昭和46年開創の寺院で、開山は鎌田行学上人。現在は太田行圓師が住職を務めています。妙恩寺の信行会は毎月5日と第3日曜日に開催され、法座が主となります。僧侶の法話のほか信徒が体験を話す場合もあります。
鎌田上人は在家出身で、「生活の中にみ仏の教えを活かすことが信仰です」と信仰体験を重んじました。私は20歳の時に縁あって法華経や日蓮聖人のご遺文を学び、心が洗われる思いをし、すごく感動しました。まさに「妙とは蘇生の義なり」の日蓮聖人のお言葉を噛みしめました。以来、50年近く信仰を続けています。妙音寺の機関紙『珠』の編集長を務めるなど青年会活動に従事しながら、お寺と共に歩んできました。
30歳の時に川部家の婿養子となりました。川部家は浄土真宗の家でした。阿弥陀さまの前でのお題目には抵抗があり、なんとしてもお題目を唱えるようになりたいという思いでいました。妻の理解は得られましたが、現在102歳になる義母には改宗のことはなかなか言い出せずにいました。
その頃、妻が流産。その後も子宝に恵まれず、悶々とした日々を過ごしていました。こうした境遇を改めるのには法華経を信仰して、因縁を変えるしかない。日蓮宗に改宗させてほしいと、妻と2人でお願いしました。義母はじっと考えて「あなたたちのいいようにしなさい」言ってくれました。
数年後に長男を授かりました。高齢出産でしたが、自然分娩で生まれました。今年28歳になり、元気よく東京の企業に勤務しています。これも仏さまと住職や先祖の加護のお陰と思います。
長男は帰省した折には、必ず仏壇にお参りします。信仰は理屈ではなく、親の姿から日々の生活の中に芽生えてくるものだと思います。お題目結縁は家庭での信行の積み重ねと子孫への継承にあります。まず家族に信仰の輪を広げていくことが、宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」の第1歩だと思います。
平成29年2月に生存率の低い胆管がんの手術を受けました。10時間に及ぶ大手術で、1ヵ月半以上の入院生活を送りました。主治医からは五分五分と言われ、妻も気落ちしていましたが、お陰さまで体調も落ち着き、元気に生かせていただいています。「同様な症例の患者はほとんど亡くなっており、あなたはまれなケース」とも言われました。私はこのことも信仰の功徳だったと思っています。
鎌田上人は「信仰は難しいことではない。ありがとう、お陰さま、もったいない、と心から感謝して生きること」と説かれました。宗祖は「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候けるぞ」とおっしゃいました。この2つの言葉を生活の支えにして生きていきたいと思っています。