秋田正知 氏
青森県檀信徒協議会長
昭和23年8月5日生まれ 年齢69歳
菩提寺・八戸市妙現寺
三方を海に囲まれた本州最北端の青森県。太平洋に面し全国有数の漁獲高を誇り、東北屈指の工業地帯でもある人口約24万人の八戸市は、遠く遡ると、源頼朝公の側近として仕えた南部光行公が奥州征伐において功績を挙げ、その褒賞として同市を含む県南と岩手県北の糠部五郡を賜ったという史実があります。
光行公の三男、六郎実長公は「波木井」姓を名乗り、深く日蓮宗に帰依し、佐渡流罪から鎌倉に戻られた日蓮聖人を波木井郷(現・山梨県)にお招きし広大な土地を寄進し、「日蓮宗総本山」として私たち檀信徒信仰の拠り所である身延山の整備拡充に力を注ぎました。
光行公の子孫は後に「根城南部」の祖として南北朝時代に活躍。このように八戸市と日蓮宗は深く関わりがありますが、市内では私の菩提寺である太平山妙現寺が唯一の日蓮宗寺院です。
その成り立ちを顧みますと、大正6年頃、のちに開基檀方となる1人の女性が、医師もさじを投げた難病を患っていました。その自らの身の病を癒やすため、太平洋を眼下に望む湊町舘鼻に、お題目信仰の縁により「御霊石」をお祀りし、熱誠なるお題目修行を行ったところ、その病が平癒したそうです。
その後、御霊石が礎となって、青森市蓮華寺布教所湊教会が設立され、参拝者が訪れてはお題目の声を響かせていたようです。この御霊石は妙現寺の開基として境内に祀られていて、今日も多数の参拝者が手を合わせています。
昭和29年に、第三世・大猷院日観上人が住職となり、「太平山妙現寺」として寺号公称しました。
以来、日観上人は布教活動を積極的に行いながらも、江戸時代に根城南部家が岩手県遠野へ移封された後、あまり手入れがされてこなかった根城城址の発掘に力を注ぎました。その尽力が実を結び、今日では「史跡根城の広場」として見事に復元され、身延山久遠寺から分けて頂いた「しだれ桜」が春には見事な花を咲かせ、訪れる人の目を楽しませています。
さて、菩提寺の妙現寺は、経年により建物が老朽化したこと、境内地が狭小であったことから、第四世・大観院日順上人の法灯継承記念として、昭和58年から現在地への移転新築に着手。檀家20軒ばかりで始まった事業でしたが、多くの有縁の方々の協力と支援によって、平成元年に移転新築事業が成し遂げられました。
秋田堯瑛現住職は平成27年度に青森県宗務所長に就任して以来、「日蓮聖人降誕八百年記念事業」が荘厳の中にも盛大に行われるよう、以前にも増して布教活動に励んでいる。
私は平成16年から檀信徒協議会の活動に関わって参りました。各行事に参加する度に日蓮宗の教えを心に深く感じております。
平成32年に青森県で行われる教区記念大会の大成功を祈って、毎日をお題目とともに過ごしています。
※秋田正知さんはこの原稿を執筆後、8月19日に急逝されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。南無妙法蓮華経