菩提寺の縁起
日蓮宗全国檀信徒協議会会計
日蓮宗埼玉県檀信徒協議会会長
伊藤 光男 氏
私の菩提寺・埼玉県川口市妙仙寺(外岡信昭住職)は昭和13年6月、私の祖父・林蔵と2人の弟(寅吉、幸太)によって建立されました。
私の曾祖父・開基檀頭の伊藤仙太郎は東京市志茂(に生まれ、幼少の時に父母を亡くし苦労して育ちました。東京砂町の野崎という鋳物工場で丁稚奉公をし、鋳物の修行をしていました。やがて親方に見込まれ、野崎の娘をめとり、川口の金山町に伊藤愃六工場を開業しました。
当時の川口町金山町は文字通り鋳物屋が軒を連ねておりました。自ら発明したもみ殻を燃料にするセンロクカマドは一世を風靡し、順調な商売をしていました。そしてその生い立ちゆえか信仰が芽生え、本多日生上人の唱える日蓮主義に触れ、法華経の信者となりました。その頃、横浜市杉田・妙法寺に生まれた伊坂さとさんと知り合い、信仰をさらに深めていきました。そして金山町に教会を設立、信仰と布教に励みました。
当時の川口町には法華経の寺院がなかったこともあり、仙太郎翁は寺院建立を計画し、現在の川口市飯塚に5千坪の土地を購入し、建築を待つばかりでしたが、昭和2年5月に志半ばで世を去りました。長男は父の事業を引き継ぎ、次男林蔵を中心に兄弟3人で、父の遺志を継ぐべく、その資金を得るための伊藤合名会社を設立したのは昭和6年のことでした。
事業は順調に発展し、資金のめどは立ったものの、寺院建立にはさまざまな難関がありました。日蓮宗や官庁の許認可の問題です。まず墓地が確保されているというのが条件でした。そこで林蔵は戸田市の妙顕寺住職だった斎藤純正上人の力添えを仰ぎ、日蓮宗宗務院や県庁に何度も足を運んでその問題をクリアしていきました。
昭和13年6月、親子2代の悲願がかない、遠光山・妙仙寺の創建となりました。翌14年5月17日、大本山池上本門寺の酒井日慎貫首を導師に開堂式を営みました。山号額は海軍中将・小笠原長生子爵の直筆で、いまも本堂向背に掲げられています。また妙顕寺の斎藤上人は、第1世として当山の基礎を作られました。
私は仙太郎翁から4代目です。伊藤家の一族親戚は、息子や孫の代まで親しくお付き合いを続けています。その背景には、菩提寺のお会式、新年会、豆まきなどを通じて顔を合わせる機会があるからともいえます。菩提寺や先祖に感謝し、このようなご縁を頂けた日蓮宗の教えを子孫に伝えていきたいと思います。