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5月18日、御題目講「いつ気付く?親という後ろ盾に…」

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こんにちは、副住職です。
去る5月18日に当山御題目講を檀信徒のみなさまと共に奉行いたしました。
その際の住職の法話をまとめましたので、是非ご覧ください。


今月の聖語は、『忘持経事』の「我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり」という一節です。
『忘持経事』という御遺文は、読んで字のごとく、自分が普段から拝読しているお経典、すなわち持経を置き忘れてしまったというお話です。
このお手紙は、建治二年、日蓮聖人55歳の時、身延において富木常忍という方に宛てて書かれたものです。
日蓮聖人には数多くの弟子、信徒がいらっしゃいましたが、物心両面で一番の支えとなったのが、この富木常忍氏でありました。
富木常忍氏は、千葉介頼胤に仕える文筆官僚で、今でいえば県知事の書記官のようなお仕事をされていました。
富木氏のお母様は日蓮聖人のお母様ともご縁があり、日蓮聖人も富木氏のお母様には幼少期からとてもお世話になったと考えられます。
そのお母様が90歳を超えて亡くなられ、亡き母の遺骨を胸に抱いて身延を訪れて供養をなさった富木氏でしたが、帰りに大切な持経を忘れてしまったため、すぐに日蓮聖人がお手紙を書いて届けさせられたわけです。


富木氏とお母様との間にはこんなエピソードがございます。
お母様が息子のためにと、老いの眼をしばたたかせながら着物を縫ってくれたのですが、富木氏はもったいなくて着れないので、日蓮聖人に是非とも着ていただきたいとご供養されたことがありました。
そのお母様を亡くされて、恩返しをしようとする息子さんを想像してみてください。
 
富木常忍氏はこの時61歳で、お母様は90歳を超えて亡くなられたのですが、いてもたってもいられなかったのでしょう。日蓮聖人のもとにお母様のご遺骨を納めたいと思い立って、はるばる身延まで訪れたのです。
年老いた方が先に逝くのは順番ではありますが、母を亡くした富木氏の心情に寄り添いながら仏事供養が営まれ、おそらくお母様の思い出話に花が咲いたことでしょう。
富木氏は晴れ晴れとした心を取り戻されて、帰りぎわに、自分の持経を御宝前に置いたまま、持って帰るのを忘れてしまったのです。
ですからお手紙の冒頭に、「忘れたもうところの御持経」と書かれています。

本日は、直筆の写真版をお見せしようと思います。
実際のお手紙は、この2倍ぐらいの大きさのものです。




富木氏が持経を置き忘れて帰ってしまったことに気づかれた日蓮聖人は、すぐにサラサラと漢文でこのお手紙を書かれ、それを弟子に持たせ、富木氏を追いかけて届けられました。
 
このお手紙の最初には、とてもユーモアのあるお話が記されています。
魯の哀公の曰(いわ)く、ある人が引っ越しの時に、自分の奥さんを忘れてきてしまったと。
孔子の曰く、もっとひどい忘れん坊がいると。
古代中国において、夏の桀王と殷の紂王は悪政を敷いた暴君として有名なのですが、彼らは自分の本分を忘れたために、結果として自分自身の首を絞めることになったとされます。
また、お釈迦様の弟子に修梨般特(しゅりはんどく)という方がおりました。
この人は自分の名前すら忘れてしまうので、いつも大きな名札を首から下げていたそうです。名札を荷っていることから「名荷(みょうが)」とも呼ばれ、後にそのお墓から生えてきた植物が「茗荷」と名付けられたといわれ、茗荷を食べすぎると物忘れが激しくなるという伝説も生まれています。
この修梨般特は現代流にいえば、いわゆる学習障害だったのでしょうか、物覚えは悪くても、純粋で素直な心持ちであったので、法華経では仏になることができたと説かれています。
このように、「忘れた」ということに関する様々なエピソードを紹介した上で、あなたは大切な持経を忘れていかれましたね、あなたは日本第一の忘れん坊かもしれませんねと揶揄され、ユーモアにあふれた文章が続きます。
これだけのユーモアを交えた文章が書かれたのは、日蓮聖人と富木氏との信頼関係が相当に深かったからでありましょう。
 
このお手紙の後半には、富木氏がお母様を亡くした悲しみに寄り添いつつ、お母様のご遺骨を頸に下げて、下総の地から甲州の身延までの長い道中には大変な苦労があることを追懐し、ようやく身延に到着した時の様子が劇的に記されます。
身延の御草庵で日蓮聖人と再会された富木氏は、おそらく大いなる安堵感に包まれたことでしょう。
「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り心の苦しみ忽(たちま)ち息(や)む。」
永遠のいのちをもって私たちを導いて下さっている法華経の教主釈尊の御宝前に、お母様の遺骨を安置し、五体を地に投げ出してその前にひれ伏し、合掌して両眼を開いて教主釈尊の尊容を拝すれば、お母様の魂が導かれていくことを実感し、宗教的な悦びが身体にあふれて、心の苦しみもたちまちに消えてしまったことでしょう。

これに続くフレーズが、今月の聖語になります。
「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり」
自分が今、こうして肉体をもった存在として生きていられるのは、両親の血肉を分けていただいているからであります。
頭も足も、手の指も、この口も、みんな両親からいただいたもの。
親と子が似てくるというのは、科学的にいえば遺伝子を受け継いでいるからでしょうが、年を取るほどに親に似てくると、よく言われますね。
私は、先代住職が市川團十郎のようにハンサムだったのと比べますと、残念ながら顔かたちは似ていないのですが・・・、でも最近は、声が似てきたと言われますね(笑)。
まぁ、自分の声というのは、自分では聞き分けられませんので、それはお世辞かもしれませんが、なんとなく嬉しいものです。
 
そのように親と子は、「譬えば、種と果(このみ)と、身と影との如し」と言われます。
果物に譬えれば、果実の部分が両親で、その中の種が自分に当たるということです。
種の中には遺伝子が組み込まれているわけですが、肉体的な面ばかりでなくて、そこには親の生きざまや、子孫に対する願いや思いという精神的な面も、子供に受け継がれていくということでしょうね。
自分の親の存在というのは、生きている間にはなかなかその有り難みを感じないのかもしれません。

親は、いて当たり前。昨今の若者からすれば、親はウザいと。
自分に厳しかったり、口うるさかったり、それは一人前に育ってほしいという親心なのですが、やんちゃ盛りの子供にはなかなか気づかないことですね。
自分が親になって初めてその有り難みに気づくか、あるいは親を失ってそれを思い知るか、どちらかだと思いますね。
お詣りいただいている皆さんは、そうした経験をされた方ばかりだと思いますが、親というのは後ろ盾ですよね。
大事なお母様を失った時の富木氏の悲しみに対して、日蓮聖人がどれだけ親身になって寄り添ったかという様子がよくわかるお手紙でございます。
 
そして、このお手紙の末尾のフレーズがとても印象的です。
「教主釈尊の成道は、浄飯王・摩耶夫人の成道なり」と。
お釈迦様は厳しい修行を経て、仏になられました。
浄飯王・摩耶夫人というのはお釈迦様のお父様・お母様です。
お釈迦様は、シャカ族という部族国家の王子でありましたので、ご両親の期待としては、王位を継承して欲しかったことでしょう。
けれども、お釈迦様は、親の思い通りの生き方はされませんでした。
シャカ族の王子として、王位を継ぐという将来を捨てて、出家されたのです。
出家するというのは、親子の縁を切るということです。
実はまた、シャカ族の国はその後、隣の国に攻められて滅亡してしまうという憂き目にも遭うのです。
お釈迦様は、世俗的な権力である王位継承ということよりも、もっと大事な価値観を求められたわけです。
それはけっして、積極的に親不孝をしろということではありません。
親に背くという形になっても、精神的な価値を求めていく生き方を貫いて、それを社会の人々に伝えられたところが重要なのです。
 
親の望む通りに、敷かれたレールに乗ることは親を喜ばせることになるでしょう。
しかしながら、私たち一人ひとりに宿っている魂を中心に考えるとき、この世だけの命ではないことにも思いを寄せる必要があります。
現実を超越することが本当の生き方とは限りませんが、自らの根本の拠り所に関心を向けて、魂の世界から自分自身の生き方が問われていることに気づく必要があるわけです。
お釈迦さまの「さとり」というのは、一人一人の魂の尊さに目覚め、人間同志がお互いに尊敬し合うことの大切を説き、安定した社会を築くことを願われたのです。

人間がこの世に生きる究極の目的は何かといえば、より高い精神的な価値にめざめ、魂を成長させることにあります。
そのためには、時として世俗の価値観を一旦否定しなければならない場面があるわけです。
お釈迦様は親からいただいた大事な命に感謝しつつ、目先の損得のような世俗的な価値観に振り回されて迷っている人間たちに、模範となる生き方を実践的に示されたのです。
親に対する恩返しというのは、たいていは自分の親にそのままお返しするのは難しいことでしょう。
だからこそ、自分の周囲の人たちに伝え、後世の人々に残すという形で、恩返しする必要があるのではないでしょうか。
お釈迦様が出家して真剣に道を求められたからこそ、より多くの人々の精神的な支えとなる真理を体得し、尊い教えを説かれて、今を生きる私たちにも伝えられてきているのです。
そういう意味で、お釈迦様は世俗の親に背く形をとりましたが、すべての人々に対する恩返しをすることによって、ご自分の両親にもその功徳が回向されるという発想に立っているのです。
ですから、お釈迦様が成道されたのは、お釈迦様お一人のことではなく、ご両親と共に仏の道を歩んでいくことになるわけですね。
 
法華経の教えによれば、自分一人だけが仏に成るということはないのです。
自分が仏に成る道と、両親が仏に成る道とは一緒のものであるということを同時の成仏といいます。
成仏というと、自分だけが良いところに行くというような感じがあるかもしれませんが、法華経の教えによる成仏というのは、現実を離れてどこかへ行ってしまうことではありません。
それは、私たち一人ひとりに宿っている魂をきちんと見つめ、その尊さに気づき、お互いに尊重し合うことによって、すべての魂が平等であることに目覚めていく。
現実社会でのさまざまな葛藤や試練を経験し、自覚的に生きていくことによって、お互いの魂を磨き合ってゆく道筋、それこそが仏道であります。
その仏道を達成することが「成仏」なのです。
 
「仏道は遥かなり」という言葉がありますが、日常生活で経験することすべてが仏道修行であり、自分のこの世での役割と責任をきちんと認識して、自覚して、そして実践していく。
それが仏に成る道なのです。
成仏というのはゴールではありません。
むしろそのプロセスの中の一コマを、一生の間に経験として積ませていただくこと。
その最中が成仏への道であり、常に現在進行形なのです。
私たちの日常には、試練がつきもので、なかなか仏道修行を達成するのは難しいものです。途中でやめてしまったり、挫折する場合のほうが多いようです。
仏道を志しても、妨害や誘惑に負けてしまいがちなのが私たちの現実です。
こうして毎月お寺にお参りに来られている皆さまは、まさしく仏道を成じておられるのです。
仏道を一歩一歩進んでいらっしゃるのです。
そして、命終わった時も、肉体は無くなりますけれども、それで終わりではありません。
自分の魂に刻まれた経験値は消えることなく、生まれ変わり死に変わりしていく中で、魂はさらに限りなく成長していくのです。
法華経には、そうした不思議な魂の世界が説かれているわけであります。
 
以上が住職の法話でございました。
孝行のしたい時分に親はなし。
ということわざもあるように、親へのありがたみというのはなかなか分かっているつもりでも普段は忘れがちなものですね。
今回の『忘持経事』から改めて両親への感謝の気持ちというものに気づかされ、また自分自身が成長していくことが親への恩返しでもあるのかなと感じさせられました。
 
来月の妙恵寺御題目講は、6月19日(月)14時~の予定でございます。
基本的にどなた様でもご参加いただけますので、あらかじめメール、電話等でお問い合わせください。
みなさまのご参加を心よりお待ち申し上げております。
合掌
裕真。

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