3月19日、御題目講「日常生活の中での仏道修行?」

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こんにちは、副住職です。
先日、当山妙恵寺の春季彼岸会御題目講を奉行いたしました。
春の訪れを感じるようなとても暖かな気候のもと、お彼岸の日曜日ということもあり、多くの檀信徒の皆様にお参りいただきまして、誠にありがとうございました。

今回も、住職の法話をまとめましたので、是非ご覧ください。
 
今回は、『崇峻天皇御書』の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」という一節に関してです。
この御書は、日蓮聖人に深く帰依した信徒の一人、四条左衛門尉頼基に与えられた長文の御手紙です。
日蓮聖人は四条金吾と呼ぶことが多く、北条氏一門の江馬光時に仕える武士であり、また医薬に通じていたので、聖人も非常に助けられたといわれます。
四条金吾は、龍口法難の折には聖人に殉死の決意も表し、至誠にして信心堅固の人でありましたが、一方で短気な面もあったようです。


 
この『崇峻天皇御書』というお手紙が書かれた背景について、まずお話しいたします。
四条金吾は父の代から江馬氏に仕えていた忠臣ですが、主君の江馬光時は日蓮聖人が批判された良観房忍性に帰依していたため、信仰上の葛藤がありました。
また四条金吾は板東武者の典型のような人物で、主君からの信頼も厚かったようで、そのために同僚からの嫉妬を受けていたとも考えられます。
あるとき、日蓮聖人の弟子であった三位房(さんみぼう)が、比叡山の学僧竜象房との問答に際し、四条金吾の同行を求めました。四条金吾は公用のために遅参したところ、三位房が竜象房と問答の末、論破してしまいました。これを桑ヶ谷(くわがやつ)問答といいます。
問答に負けた竜象房は良観房と通じていたため、報復を企てて、四条金吾が刀杖をもって説法の座に乱入して狼藉に及んだと讒言し、江馬光時に訴えました。
そのため、江馬光時は四条金吾に対して、日蓮聖人への帰依をやめるように起請文の提出を求めました。
これに対する弁明書として、日蓮聖人が『頼基陳状』を代筆しましたが、四条金吾は謹慎処分となりました。
やがて疫病が流行し、江馬光時も病に倒れて治療が必要となり、謹慎中の四条金吾は出仕を命じられたため、その旨を日蓮聖人に報告して指導を仰ぎました。その返書として書かれたのが、この『崇峻天皇御書』なのです。
 
この御手紙の中で日蓮聖人は、四条金吾に対してとても事細かな指示を与えられています。
たとえば、殿の身は危険であるから弟たちをそばから離してはならないこと、得意になって驕らないことなどを注意しています。
また、軽率に直ちに出仕せず、出仕して主君の病気の具合を問われたら膝をかがめ手を合わせて応答すること、髪もつくろわず、目立たない服装をすること、朝夕の出仕の進退に注意すること、家の妻戸の脇、板敷の下、天井に注意すること、などが書かれているのです。
さらに後半には、「第一秘蔵の物語」として、短気が災いして臣下の蘇我馬子に殺害された崇峻天皇の故事を引かれます。
崇峻天皇は、第32代の天皇で、聖徳太子の叔父にあたる方でした。
崇峻天皇が聖徳太子に対して「あなたは非常に優れた聖者だと聞いている、私の人相を占ってみなさい」といい、聖徳太子はそれを3度断ったのですが、それでもといわれたので、人相を判断し、占いをたてました。
「陛下には人に殺される相が出ています」と答えました。
だから言いたくなかったのですね。3度も辞退したのですから。
すると、天皇の顔色がサッと変わり、どういう証拠があってそのようなことを言うのかと問い詰めたられ、目に赤い筋が通っているところから判断して、人に恨まれる人相であると申し上げました。
では、どうしたらその難を免れることができるのかという問いに対して、聖徳太子は、どんなことがあっても堪え忍んで受け流す、忍辱(にんにく)の修行が必要であると説きました。
天皇もしばらくの間はそれを守っていたのでしょうが、やがて堪えられなくなってしまったようです。
ある時、「猪の子」といいますから、瓜坊が天皇に献上され、最初は可愛がっていたのかもしれませんが、腹立たしい気持ちを抑えることができなくなったためか、小さな刀で瓜坊の目をつつき、ヅブヅブと刺してしまったそうです。
その時に「自分を憎んでいる奴らもこうしてやるんだ!」と漏らしてしまったため、聖徳太子はそれを聞いた人たちに口止め料として引き出物を贈ったりしましたが、やがて政治的な駆け引きをしていた蘇我馬子に伝わって恨みを買うこととなり、ついに蘇我馬子の家臣によって暗殺されてしまったというのです。
このように崇峻天皇という方は、短気な性格で人に恨まれるような表情があったため、それを正すために聖徳太子は仏道修行のアドバイスをしたのですが、全うできなかったということを、日蓮聖人は物語として示されたのです。
四条金吾もまっすぐな性格で、感情がすぐに顔に現れてしまうタイプだったのでしょう。いくら能力が優れていても、いや、優れた人物だからこそ、人は嫉妬を懐いて足を引っ張ったりするものですから、十分注意しなければなりません。
天皇といえども殺されてしまったという事例をあげて、日蓮聖人は四条金吾への訓戒とされたのであります。
 
そしてこの手紙の末尾には、仏道修行というのは、何も世俗を離れたり山林に籠ってするものだけではなく、法華経の説くところによれば、我々の日常の振舞こそが仏道修行であることを、日蓮聖人は「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」と説かれます。
法華経の第20番目に『常不軽菩薩品』という、日蓮聖人がきわめて重要視された一章があります。
常不軽というのは「常に軽んじない」ということで、菩薩のあだ名です。
この菩薩は出会う人ごとに必ず決まったセリフを唱えて、但行礼拝という独特の修行に徹したとされます。
すなわち「我深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以(ゆえ)は如何(いかん)、汝等皆菩薩道を行じて、当に作仏することを得べし」と。これは漢文で二十四字からなるので、日蓮聖人は「不軽菩薩の二十四字」と称されました。
「私は、あなた方を敬います。けっして軽蔑したり、慢心を起こすようなことはありません。その理由は、あなた方は皆、尊い菩薩の道を修行なさっているからです。あなた方は必ず仏に成る存在なのですから、私はあなた方を敬います。」
このフレーズを、出会う相手ごとに唱え続け、礼拝行に徹したとされるのが常不軽菩薩なのです。
この行為が、いつ誰に対してなされたのかといいますと、威音王仏という過去の仏が入滅された後、像法の末という時代に、増上慢の四衆という、慢心を起こしてしまった人たちに対して実行されたというのです。
ちなみに「四衆」とは、比丘・比丘尼(出家の男女)、優婆塞・優婆夷(在家信徒の男女)のことで、仏教に携わる人たちを総称したものです。
仏教の教えというのは、時代が下るにつれて次第に形骸化し、本質が見失われてきます。そうした中で、自分たちは本当の修行をしているんだという自負が高じて、さとりを得たと思い込んで、他者を見下すような人が出てきます。まだまだ修行の途中なのに、自分はさとったと勘違いして、慢心に陥る人たちが多くなるといいます。
このような増上慢の四衆に対して、常不軽菩薩は「あなた方を敬います。けっして軽んじることはしません。あなた方は尊い菩薩行を実践して、仏に成る人たちなのですから」と言って、手を合わせる礼拝行を実践したわけです。


 
合掌して拝まれたら、皆さんはどのようにリアクションするでしょうか?
お互いに合掌して、「ありがとうございます」と拝み合うのが本当の仏教者でしょうね。
ところが増上慢の四衆は、慢心を起こしていますから、相手を見下すわけです。
まして乞食坊主のように、みすぼらしい恰好のお坊さんから、「あなたは仏になります」と言われたら、かえって馬鹿にされたように感じてしまうのではないでしょうか。
増上慢になると何がいけないのかと言いますと、向上心を失ってしまうからです。自分が慢心に陥っているとは、自分ではなかなか気づかないものです。
仏道修行を志すには、つねに菩提心という、いわゆる向上心を持たなければなりません。自分はこれで良いと思ったら、そこでストップしてしまいます。人間同志が、さまざまな経験を通して、お互いに切磋琢磨しつづけていくことが仏道修行にほかならないのです。
増上慢の四衆たちは、自分たちはそれなりの修行をしてきたという自負があるので、さとりを得ていると早合点してしまったのでしょう。
自分の修行体験を誇ったりする人は、自分は他の人より優れていると思っていて、それが慢心であることには気づいていない。そういうものですよね。
「あの人、天狗になってるよ」と周りの人は良く見えますが、当の天狗になっている本人は自分が天狗になっているとは気づきませんね。
自分では気づいていないところが慢心の恐ろしい点なのです。
仏法に携わっている人たちが、かえって仏法の本質を見失っている。しかもそのことに自分では気づいていない。
常不軽菩薩は、そうした増上慢の四衆の心を見抜いていたわけです。
仏道修行というのは、自己満足や自己正当化であってはなりません。自分はまだ足りていないという謙虚さと、自分を越えた存在にひれ伏す心をもち、「信」を捧げることが大切です。
そうした意味で、信仰をもつということは、常に自己を照らし出す鏡をもつことなのです。
規範となる鏡を失うと、自分がお偉くなってしまいます。
 
常不軽菩薩は、法華経に説かれる「一切衆生の成仏」という理念を端的に表現する形で、出会う人ごとに合掌して、「あなた方は尊い菩薩行をして仏になる」と言って拝んだのです。
この常不軽菩薩は、少々みすぼらしい格好をしていたので、外見で判断されたのでしょう。
出会う人ごとに拝んで歩いていくと、ちょっと気持ち悪いからやめてくれと、特に慢心を起している人たちは、「お前みたいな奴に仏に成るなんて言ってほしくない」と、排除しようとします。
それでも、ある意味で執拗に、遠くからでも拝み続けていると、石を投げられたり、杖で打たれたりして迫害を受けました。
それでも常不軽菩薩は、反発を受けることを覚悟の上で、あえて「あなた方を敬います」と、逆説的な言い回しで訴えかけたのです。
そこがポイントです。
 
この常不軽菩薩は、本来の仏教徒のあり方というものを根本から問いただしているのです。
常不軽菩薩自身は、様々な迫害を受けますが、それを耐え忍ぶ修行を敢えておこないました。増上慢の四衆たちの迫害を自らが受けとめていくことによって、相手に慢心の状態から目覚めてほしい、いつか気づいてもらいたいという願いを持って実践したのです。
それが常不軽菩薩の生き方なのです。
常不軽菩薩がめざしたのは、自分では気づいていない罪に、どのようにして気づかせるかということにあったと考えられます。
「あなた方を敬います」という二十四字には、そうした願いが込められているのです。
反発する人に対しても、敢えて尊敬しますと、にこやかに手を合わせて忍辱の修行を貫き通したというのは、ものすごい精神力ですね。
実は、この常不軽菩薩という方は、お釈迦様の過去世の菩薩行だったのです。
お釈迦様は過去世において様々な菩薩行を実践されましたが、その一コマであったと、法華経の常不軽菩薩品では明かされるのです。
このように常不軽菩薩は、教学的にも非常に深い意味をもっているのであります。
 
日蓮聖人は、「不軽の跡を紹継する」(『聖人知三世事』)と言われるように、常不軽菩薩の振舞をとても重要視されました。
そして『崇峻天皇御書』の末尾には、「不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。」と説かれます。
常不軽菩薩はお釈迦様の過去世の菩薩行の一コマでした。
お釈迦様は娑婆世界の教主として、この世に出現されました。娑婆とは「忍土」とも訳されますが、この現実世界のことです。様々なことを堪え忍ばなければならない、数多くの試練に遭わなければいけない、そういう空間が娑婆世界ですね。
良いことばかりではない、むしろ辛いこと、苦しいことのほうが多い「四苦八苦」の現実がこの娑婆世界です。
私たちは、おそらく敢えてこの世界に身を置いているのでしょうね。
それは、色々な経験を通して、何かに気づき、目覚めるために、様々な試練を受けたり、他人の助けをいただきながら、生き抜かなければなりません。嫌なことも多いけれど、人の優しさや暖かさに触れることが、私たちにとっての一番の心のより所になりますね。
そうした経験を自らが自覚的に受けること、そして自分が受けた恩恵を今度は他者に振り向けていくこと、自己と他者がお互いに相互関係の中で支え合って生きていく。そのこと自体が仏道修行なのです。
娑婆世界の教主、お釈迦様はそのことを教えてくれているわけであります。
お釈迦様が娑婆世界であるこの世にお出ましになったということは、当然、娑婆世界に生きる私たちを導くためです。私たちの愚かさをわかった上で、慢心を起してしまうというのも承知の上で、どういう心構えが必要なのかを実態に即して説かれたのです。
 
仏教の中でも様々なレベルの教えがあります。単純で誰にもわかりやすい教えというのは、何か良いことをすれば、すぐに良いことが現れると説かれますが、それは表面的で浅い教えなのです。
仏教の縁に触れるためのきっかけとして、初めのうちはそのような導きがなければ、手を合わせる気持ちにもなれないので、現世利益や苦しいときの神頼み、最初のうちはそれでいいのです。
けれども、いつでも誰かが助けてくれるんだということになると、自分の努力を怠りますので、慢心に近づいてしまいますね。
自分の不運を歎くばかりで、他者に対してどれだけ奉仕してきたかを問うことなく、なんで自分だけがこんな目に遭うのか、という愚痴ばかり言う人が時々いるようです。
マイナスの経験をした時、自分にはまだ足りない点や向上しなければならない部分があることに気づくことができるかどうか。
それはやはり、自分自身が人様に対しての思いやりであったり、優しさであったり、言葉かけであったりをしてきたかどうか、それが必ず自分に返ってくるのです。
そういう意味で、法華経の教えの深さというものを毎月皆様にはお話しているつもりであります。
私たちのすべての経験に無駄はないという考え方が、法華経の教えの真髄です。
 
娑婆世界の教主釈尊が、この世に出現されたその本懐、本来の目的というのは、人間の振舞、生き方の中でどういう心構えが必要なのかを説くことにあるということ。
その振舞を象徴的に表現したのが、常不軽菩薩の生き方そのものなのだと、日蓮聖人はこの御手紙の末尾に念を押すようにおっしゃったのです。
「人を敬いましょう」「他人を尊敬しましょう」という言い方は、ある意味でありふれていて、当たり前のことのようにも思えますが、きれいごとで終わってしまったり、なかなか実践できない場合が多いですね。
法華経・御題目の信仰に生きようとする私どもは、常に自分自身の心を法華経の鏡に照らして反省しながら、自分が他者の支えによって生かされてきたことに感謝し、今度は自分が誰かを支えることが出来たらいいなという思いを大切にしてまいりましょう。
人間として生きていく上で、大切な教えが法華経にはたくさん説かれています。
特別な修行というよりも、日常生活の中で経験する試練や葛藤の中にこそ、本当の仏道修行があるということ。
それを自覚的に受けとめて実践することが一番大事なんですよと、長い御手紙の最後の部分に説かれており、四条金吾への思いやりにあふれた『崇峻天皇御書』でございました。
 

以上が住職の法話でした。
仏道修行というと何か私たちには関係のないこと、と敬遠してしまいがちになりますが、法華経に説かれる仏道修行というのは、私たちが生きる日常生活の中で、他者への思いやりの心をもって、慢心を起さず、常に自己反省を心がけて生きていくということなのですね。
思いやり。自己反省。言葉でいうのは簡単ですが、実践するのは難しい…
常に、それが日常生活でできているのか、自問自答しながら日々の生活を精進して参りましょう。


 
次回の当山妙恵寺御題目講は、4月17日(月)の14時~でございます。
毎月19日ですが、来月は17日に変更になっておりますので、お間違いのないようにお願い致します。
法華経、日蓮聖人の生き方に基づいた日々の生き方の指針になるようなお話を共に学んでみませんか?
是非お気軽にメールにてお問い合わせください。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
合掌
裕真。

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