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七面山 妙恵寺

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5月22日、御題目講 「親子の絆といのちのつながり」

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こんにちは、副住職です。
先週行いました当山御題目講での住職の法話をまとめました。
 
今回は、日蓮聖人の御遺文『忘持経事』の「歓喜身に余り、心の苦しみ忽ち(たちまち)息む(やむ)」という一節に関してでした。
『忘持経事』は、現在の千葉県市川市中山に住まわれていた富木常忍公に対して宛てられた御手紙です。
常忍公は日蓮聖人を経済的にも多大な支援をされた信者でした。
その常忍公の母が90歳を過ぎて逝去されました。
常忍公は母の遺骨を抱いて、日蓮聖人のいらっしゃる身延まで遠路遥々、遺骨を納めにやってきました。
その帰りに常忍公は、所持の経典(持経)を置き忘れて帰ってしまいます。
この御遺文は、日蓮聖人がその持経を追って届けさせる際に添えられた書状であるため、『忘持経事(ぼうじきょうじ)』と名付けられました。
日蓮聖人は常忍公が大切な持経を忘れたことをユーモア交じりに揶揄されながら、母を見送った悲しみを共感し、法華経によって回向したので母は成仏し、常忍公の心労も晴れたであろうと述べられます。
 
「歓喜身に余り」とは、感動して身震いする様子を指しており、お釈迦様に導かれ、日蓮聖人の教化を受けて、いよいよ母も霊山浄土へ旅立つんだ、と常忍公も宗教的な感動を受けていたことが表現されています。
「心の苦しみ忽ち息む」とは、自分にとって母の存在がいかに大きな後ろ盾であったかを、失って改めて気づかされたのでしょう。大切な母を失った悲しみと、はたして自分は孝行できたのだろうかという葛藤もあったけれども、遺骨を納めたことによって心のけじめがつき、母に対する感謝の気持ちでいっぱいになって、心の苦しみがたちまち解消されたであろうと、常忍公の心のうちを代弁しているのです。
 
この文章の後には「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり、種(たね)と果(このみ)と身と影との如し」と続きます。
自分の身体は、すべて父母の血肉を分けていただいたもの…。
自分がここまで成長させてもらった頭も手足も口も、すべては親から頂戴したものなのです。
それは例えば、植物が種から生育し、花を咲かせ、果実をつけ、その中にまた種ができるように、生命は受け継がれ、循環していくものなのです。
そしてまた、身と影とのように切っても切れない深い関係、それが親子であると説かれます。
 
さらに「教主釈尊の成道は、浄飯摩耶の得道」と続きます。
インドのお釈迦様は、釈迦族の王である父・浄飯王、母・摩耶夫人のもとにお生まれになりました。
そうした環境の中で、お釈迦様は、親の期待に背き、王位を継ぐことなく出家されますが、あえて出家し、修行を積まれたことにより、大いなる悟りを得られ、偉大なる仏陀となられます。
こうして、お釈迦様が仏陀になられたことにより、両親に対しても仏になる道を開くことが出来たのであります。
お釈迦様の成道というのは、ただ一人だけのものではなく、自分の両親はもとより、先祖にも及び、さらには命がつながっているすべての存在に対して、成仏の道を開くことになったのです。
親子の同時成仏。子供の立場として、親の菩提を弔うというのはよく言われることですが、これは子供自身がしっかりと親の命を受け継ぎ、自覚的に生きていくことによって、亡き親を安心させ、成仏の道筋が開かれるのだ、ということを意味しているのです。
 
「成仏」という言葉は勘違いされがちでありますが、基本的な意味としては「仏(仏陀)に成る」ということです。
仏陀とは、目ざめた人、悟りを得た者のことです。
みんながこの「仏陀」になることができますよ、と説かれ、真理に目ざめさせてくれるのが『法華経』なのです。
人間誰しも生きていれば良いことも嫌なことも経験しますね。苦しいこと、辛いことのほうが多いのが人生というもの。
そんな中で、今まであの人のことをずっと恨んでいたけれど、実はその人こそが、自分のマイナス面を気づかせて、魂を成長させてくれる恩人であるかもしれません。
 
「気づくこと」これこそが悟りのスタートなのです。
真理の一分に気づかせてもらう。そのきっかけは、自分の生きている身の周りに沢山あるはずです。
見逃したり、気づいていないだけかもしれません。
生きているうちに、色々な経験をして気づいたこと、目ざめたことを蓄積していく。
そうすれば皆が仏陀になれるはずなのです。
真理に目ざめるきっかけは、私たちの生活の中に溢れています。
まず、そのことに気づくことが仏になる道への第一歩なのかもしれません。
 
不思議な命の営み。
その壮大な世界の中に自分自身が生かされていると自覚し、その中での自分の役割を受けとめ、果たしていくこと、自覚的に生きていくことが何より大切なことなのです。
自覚的に生きる。
わかったようでわからない、難しい話かもしれませんが、私生活の周りから自分自身のマイナス面に気づき、そこから自分がやるべきことを考えてプラスに変えていこうと努力する。
その日常での「気づき」、その「気づき」から自分の心がどう変わっていけるかが大切なのではないかなと感じました。
長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
次回の当山御題目講は、6月19日11時から行います。
いつもは14時からですが、来月は午前11時からですので、お間違いないようによろしくお願い致します。
初めてのご参加の方も心よりお待ちしておりますので、参加ご希望の方は電話かメールにてご一報お願い致します。
それでは、もう間もなく梅雨入りしそうですので、お身体ご自愛ください。
裕真。
 

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