神奈川台場の歴史

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横浜の開港により、開港場の付属施設として「神奈川台場」が築造されました。

安政6年(1859)5月、幕府が伊予松山藩に砲台の構築を命じ、勝海舟が設計にあたりました。
約7万両の費用と約1年の工期を要し、万延元年(1860)6月に竣工した当時の台場は、総面積2万6千㎡(約8千坪)で、海に突き出た扇形をしていました。

明治32年(1899)2月に廃止されるまで、礼砲や祝砲を発射する施設として使われていましたが、大正10年頃から埋め立てられ、いま地上部には石垣の一部だけが残っています。
(地図と絵に見る神奈川台場の歴史より)

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