今月の掲示板は「従地涌出品第十五」の一節です。
〈譬如少壮人 年始二十五 示人百歳子 髪白而面皺 是等我所生 子亦説是父 父少而子老 挙世所不信〉
訓読では「譬えば少壮の人 年始めて二十五なる人に 百歳の子の髪白くして面皺めるを示して 是等我が所生なりといい 子も亦是父なりと説かん 父は少くして子は老いたる 世を挙って信ぜざる所ならんが如く」と読みます。
この経文は『妙法蓮華経』従地涌出品第十五に登場します。
法華経のなかで最も重要な章である如来寿量品第十六、そこでお釈迦様が自らの永遠性を明かされます。その前段階に説かれたのが、今回ご紹介する従地涌出品第十五です。
経題の従地涌出とは、「菩薩が地より涌き出る」という意味です。この章では地中より数多くの菩薩が登場されます。それら菩薩を総称して地涌の菩薩と呼び、そこには四菩薩というリーダー格の四名の菩薩がいます。
この地涌の菩薩は、法華経にのみ登場する特別な菩薩で、ここで初めて姿を現しました。容姿は端麗で、お弟子たちも初めてお会いする菩薩です。
お釈迦様のお話によると、その菩薩は久遠の昔にお釈迦様が教化されたとのこと。しかし、お弟子たちはすぐには信じられません。お釈迦様が出家し、悟りを開かれてから四十年余りしか経っていない。それなのに、いつの間にこの菩薩方をお導きになられたのかと。
その時にお弟子が発せられた言葉がこの経文です。意訳しますと「二十五歳の青年が百歳の老人のことを自分の子どもと言い、老人が青年のことを自分の父親と言うに等しく、信じがたいことです」と。
その疑問に答えられたのが次章の如来寿量品であり、そこで久遠実成(永遠の仏)が顕されます。

