当山寺庭(住職婦人)の髙森万里子が、日蓮宗新聞社発行の『正法』172号(令和5年正月号)に「三十番神について」と題して筆耕しました。
三十番神(さんじゅうばんじん)とは、1箇月30日の間、日々交替して国家や人々あるいは仏法を守護すると信じられた30柱の日本の神々をいいます。日蓮宗では、この神々を仰いで現世利益の祈願を捧げる慣わしが広く行われてきました。
従来、日蓮宗に三十番神信仰が取り入れられたのは、京都妙顕寺の日像(1269~1342)の頃とされてきましたが、時期を前後して千葉中山法華経寺日高(1257~1314)の筆になる三十番神が存在したことを示す史料が確認されています。このことから、日蓮宗では、中山門流あるいは四条門流を中心に、三十番神信仰が広まったことが分かります。
本稿では、三十番神のルーツ、日本天台宗と日蓮宗における番神信仰、全30神の概説、番神像と番神堂などについて、カラー写真も活用しながら解説します。
なお、番神各説に紹介した各神祇の本地仏について、その根拠は日蓮宗独自のものではなく、『神道集』(伝、安居院作。14世紀後半成立)や『仏像図彙』(土佐秀信作、元禄3年に刊行)をもとにしたものとなります。『仏像図彙』は、伊藤武美編『復刻 仏神霊像図彙 仏たちの系譜』(1987年発行)に復刻されていますので往見ください(参考:国立国会図書館デジタルコレクション蔵『仏像図彙』)。
またこれは余談ですが、しばしば日蓮宗寺院の中には、三十番神のうち天照(伊勢)・八幡(石清水)・春日の三尊を主尊のように扱う勧請形態が散見されます。これは、中世以降の「三社託宣」の故事に由来するものと考えられます。「三社託宣」は、南北朝期の前後に東大寺の僧侶によって作られたとする説が有力で、中央に天照大神、右に八幡大菩薩、左に春日大明神を記し、その下に託宣を載せて一軸の掛軸に仕立てたものが床の間に飾られ、信仰の対象とされました。託宣の内容は、神道・儒教・仏教の三教融合思想に基づき、それぞれ正直・清浄・慈悲を表しているといいます。この正直・清浄・慈悲の三つの徳目は、中世以降、伊勢神宮・石清水八幡宮・春日大社の三社において重んじられ、中世神道思想の基本的考え方はこれに由来するとのこと。室町末期に吉田神道(唯一宗源神道)を創唱した卜部兼倶(うらべかねとも)は、三社託宣を積極的に取り込んで宣布し、吉田神道の発展と相俟って室町期には公家の間で盛んに信仰され、江戸期には庶民信仰にまで発展しました。