【推薦図書】細川重男著『平頼綱―諸人恐懼の外、他事無し』(ミネルヴァ書房『ミネルヴァ日本評伝選』、2026年)

龍口法難で松葉谷草庵を襲う平頼綱_窪田統泰画『日蓮聖人註画讃』(京都本圀寺蔵・1536年成立)

 平頼綱(-1293、へいのよりつな・たいらのよりつな)といえば、鎌倉殿得宗家(とくそうけ)に仕えた得宗被官(御内人・みうちびと)として、8代執権北条時宗、9代執権北条貞時の寄合衆・内管領・侍所所司に任ぜられた人物である。
 日蓮伝にもしばしば登場し、日蓮と三度対峙したことで知られる。一度目は、文永8年(1271)9月12日、日蓮暗殺未遂事件となった「龍口法難(りゅうこうほうなん)」、二度目は、文永11年(1274)4月8日、佐渡配流から鎌倉に帰還した日蓮を呼び出し蒙古対策について喚問した際に日蓮が謗法亡国(ほうぼうぼうこく)の警鐘を鳴らした「第三国諫(だいさんこっかん)」、三度目は日蓮の甲斐国身延在山中の弘安2年(1279)年6~9月、駿河国での刈田狼藉田畠横領事件の審理を主導し、日蓮の弁明書も空しく駿河の門弟が斬罪に処された「熱原法難(あつわらほうなん)」である。

第三国諫で日蓮と向かい合う平頼綱_円明院日澄(1441-1510)『日蓮聖人註画讃』(成立年未詳)

熱原法難碑(瀧泉寺)

 ちなみに、対蒙古政策の一環として「軍勢催促御教書(ぐんぜいさいそくみぎょうしょ)」が発令された9月13日は龍口法難の翌日であり、この御教書発令にあわせて、侍所所司(さむらいどころしょじ)であった頼綱らが日蓮暗殺計画を画策した可能性が高い。この時の弾圧は、日蓮のみならず広く門下にも及んでおり、蒙古防衛政策の一環として国内における悪党鎮圧を目的とする侍所としては、日蓮とその門弟の口封じの意図があったものと思われる。頼綱にとって、それほど初期日蓮教団は目障りな存在だったのであろう。

鎮西に所領のある御家人の西下を命じた「軍勢催促御教書」

 その後、頼綱は、龍口法難で日蓮の助命運動に力を注いだとされる外様御家人の安達泰盛(北条時宗の義父。または義兄か)とも対立を深めていく。日蓮歿後の弘安8年(1285)、安達泰盛一族は平頼綱に滅ぼされ(霜月騒動)、一方の平頼綱も、永仁元年(1293)、北条貞時(北条時宗の子)の討手に急襲され、鎌倉の自邸で一族90余人と自害している(平頼綱の乱、平禅門の乱)。日蓮が『立正安国論』で予見した自界叛逆難は、幕府崩壊の直接的原因である御家人と得宗家の激突となったこれらの事件を指していたのかもしれない。

安達泰盛(秋田城介)_『蒙古襲来絵詞』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

 本書『平頼綱―諸人恐懼の外、他事無し』は、日蓮弾圧など悪名で知られるも、史料の少なさ故にこれまで論評されてこなかった平頼綱の初の評伝。執権北条時宗の歿後、鎌倉幕府史上最大の内戦となった霜月騒動で安達泰盛とその一族を滅ぼし、七年半にわたって北条貞時を擁して幕府を支配し、朝廷政治にも介入して皇位をも左右する権勢を振るいながら、平禅門の乱で主君貞時によって殺された「最凶の悪人」の実像に迫る(日蓮に関する記述は、本書第3章「平頼綱と北条時宗独裁」120~130頁にみえる)。
 なお、安達泰盛については、福島金治著『北条時宗と安達泰盛―新しい幕府への胎動と抵抗』(山川出版社『日本史リブレット 人』34、2010年)を往見されたし。
 ちなみに、萬屋錦之介主演映画『日蓮』では平頼綱を中谷一郎が、奥田瑛二が日蓮を演じたNHK大河ドラマ『北条時宗』では平頼綱を北村一輝、安達泰盛を柳葉敏郎がそれぞれ演じている。また、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場した平盛綱(たいらのもりつな)は平頼綱の養父、安達盛長(あだちもりなが)は安達泰盛の祖父にあたる。

※なお、広く仏教・法華経・日蓮はじめ歴史・文化など人文社会科学全般に関する参考文献の一覧は、コチラから。

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