6月24日 眼病守護日朝上人大祭を行いました。
行学院日朝上人は総本山身延山第11世法主であり、久遠寺発展の基礎を築き、また室町時代の代表的な教学者でもあります。
その業績は甚だ多く、宗門では「中興の祖」と仰ぎ、讃えております。
止暇断眠(しかだんみん)といい、寝る間も惜しんで様々な事業に尽力されますが、その無理がたたり61歳の時に視力を失われました。
それまで見えていたものが見えなくなるとは、いったいどのようなことでしょう。
それまであった一つの感覚が失われるわけですから、今まで当然のように出来ていたことも容易には出来なくなり、行動も制限され、恐怖や焦燥感などもあったのではないかと存じます。いったいどれほどの苦悩であったのか、計り知れません。
ですが日朝上人は、法華経の信仰・経力のちからによって、これを克服されます。
そして後世、「法華経を信仰する者が眼病で苦しんでいたならば、必ず守護し、平癒させる」という願を立てられます。
以来、多くの人々から眼の神様、学業の神様として尊ばれて参りました。
目の見えないというのは、単に身体的なことに限らず、よい教えを知らない、よい気づきを得ていない様子にも譬えられます。
算数を教わっていない者には、「1+1= 」の先が見えません。
横断歩道の渡り方を教わっていない者には、信号の意味・安全に渡れる時と車が来る可能性があり渡るには危ない時があることが分かりません。
また、恐怖や焦燥感に囚われていれば、見えてくるものも少なく、生きていくことも窮屈になっていくことでしょう。
何事にも囚われることのない心の眼を持っている者は、きっとあらゆるものを見通し、そこから様々なことを学び取り、尊い智慧を得ることでしょう。
本当の学びとは、知識を詰め込むことではなく、様々なものをあきらかに見て、そこから得られる智慧を身に付けていくことではないでしょうか。
我々も、日朝上人の法華経への信仰と、身に付けられた智慧にあやかりたいものです。
当日は、当山に勧請される日朝上人に報恩の誠をささげ、眼病平癒、学業成就を祈念いたしました。