毎年、夏から秋にかけて、ご祈祷を受けるために神奈川県から当山へ足を運んでくださる方がいます。
今年もまた、遠い北海道まで来てくださいました。
毎年お持ちになるのは「身代わり守り」。
一年間お守りいただいたものを納め、新しいお守りを受けて帰られます。
実はこの方、山登りをされる方です。
登山へ向かう前に当山へお参りし、旅の安全、登山中の無事、そして一年の身体健全を祈っていかれます。
決して多くを語る方ではありません。
けれど、毎年遠くから足を運び、手を合わせ、お守りを受けて山へ向かう。
その姿を見ていると、言葉にしなくても、そこには確かな「祈り」があるのだと思わされます。
そこで今回は、少々強引かもしれませんが(笑)、登山と信仰を重ねて考えてみました。
登山の目的は「山頂に立つこと」だと思われがちです。
しかし、本当はそれだけではありません。
山頂へたどり着いても、まだ登山は終わっていない。
無事に下山し、家へ帰ってきて、初めて登山は終わります。
これ、仏教にもよく似ています。
お寺へ来て、手を合わせる。
お題目を唱える。
ご祈祷を受ける。
心が少し軽くなったり、「また頑張ろう」と思えたりすることもあるでしょう。
けれど、お寺で心が整ったところがゴールではありません。
大切なのは、その心を持って、「家に帰ってからどう生きるか」です。
腹が立った時、ほんの少しこらえてみる。
誰かに優しい言葉をかける。
「ありがとう」を伝える。
間違えた時には「ごめんなさい」と頭を下げる。
困っている人がいたら、ほんの少し手を差し伸べてみる。
仏教とは、特別な場所で立派なことをして終わる教えではありません。
手を合わせて得たものを、普段の暮らしへ持って帰る教えなのだと思います。
山頂から見える景色が、その後の一歩を変えてくれるように。
お寺で手を合わせた時間もまた、その後の日常の歩みを少しだけ変えてくれる。
だから、
【山頂はゴールではなく、折り返し地点】
きっと信仰も同じなのでしょう。
手を合わせた、そのあとからが本番です。
今年もどうか、無事に山へ登り、無事に帰ってこられますように。
そしてまた来年、元気なお顔でお会いできますように。
遠方よりのお参り、本当にありがとうございました。
合掌


