札幌のお寺をお手伝いしていた頃、よく通っていた焼売屋さんがありました。
家の近くにあった小さなお店で、焼売がとても美味しく、時々販売される店主の奥さん手作りのカレーも絶品でした。
「私のお昼ごはんの半分はそこで食べていた」と言ったら、さすがに少し大げさかもしれません。
でも、それくらい好きなお店でした。
味が好きだったのはもちろんですが、それ以上に店主の人柄が好きでした。
気さくで、あたたかくて、優しくて、話しているだけでこちらの心まで少し軽くなるような方でした。
ある日、いつものようにお店に立ち寄ると、定食に出てきた箸が、いつもの割り箸ではありませんでした。
立派な箸だなと思ってよく見ると、そこには私の名前が。
「泉水さん専用の箸、作っちゃいました」
そう言って笑う店主の顔を、今でもよく覚えています。
お客と店主という関係ではありましたが、いつの間にか、ただ料理を食べに行くだけの場所ではなくなっていました。
焼売を食べ、カレーを楽しみ、何気ない話を交わす。
そこには、お腹だけでなく心も満たされる時間がありました。
時には、お子さんのことで悩んでいることを打ち明けてくれたこともありました。
簡単に答えの出ることではありません。
親としての心配や迷い、願い。
そういうものを抱えながら、それでも毎日を重ねている姿がありました。
そのご夫婦は、こども食堂の活動にも関わっていました。
自分たちも悩みを抱えながら、それでも誰かのために温かい食事を届けようとする。
その姿に、私は心を打たれていたのかもしれません。
焼売やカレーの美味しさだけではなく、その奥にある人柄や思いに惹かれて、私はあのお店に通っていたのだと思います。
しかし、その焼売屋さんはほどなくして閉店。
私も同じ時期に夕張のお寺へ戻ることとなり、それ以来、会うことはなくなっていました。
ところが先日、その店主が突然、妙法寺へやって来てくれました。
しかも、アポなしで。(笑)※皆さんもアポ無しはやめましょう
「泉水さん、修行お疲れ様でした!」
そう言って手渡してくれたのは、焼売でも、あの絶品カレーでもなく、まさかのスイーツ。
私は思わず、
「そこは焼売じゃないんかい!」
と、しっかり突っ込ませてもらいました。
そんなふうに遠慮なく突っ込めることが、なんだかとても嬉しかったのです。
話を聞くと、私のYouTubeを見つけてくれて、そこで修行のことを知ってくれたそうです。
会っていない間も、どこかで私のことを見つけ、気にかけてくれていた。
そのことが、何とも言えず嬉しく感じました。
さらに、昨年の子ども寺子屋にも、サプライズで来ようと計画してくれていたそうです。
残念ながら仕事の都合で来ることはできなかったそうですが、その気持ちだけで十分ありがたいことでした。
久しぶりに会ったはずなのに、時間の距離を感じない。
昔と同じように冗談が言えて、笑い合える。
そして、離れていた時間の中にも、ちゃんと気持ちがつながっていた。
それは、ただの知り合いではなく、あの頃にちゃんと心が通っていた証なのだと思いました。
その日は札幌でお通夜があり、長い時間ゆっくり話すことはできませんでした。
それでも、少しの時間、懐かしい思い出話をする中で、当時の記憶がふっと蘇ってきました。
お店の雰囲気。
カウンター越しの会話。
名前入りの箸を見つけた時の驚き。
そして、奥さんのカレーの美味しさ。
何気ない日々の中にあった、あたたかな時間を思い出しました。
会えなくなった人がいます。
話せなくなった人がいます。
けれど、縁まで消えてしまったわけではありません。
思い出すたびに、その人は心の中に帰ってきます。
いただいた言葉、交わした笑顔、過ごした時間は、今も私たちの中で生きています。
仏教でいうご縁とは、会っている間だけのものではないのだと思います。
会えない時間にも、つながっているものがある。
離れてから深まる思いもある。
今回の再会は、そのことを静かに教えてくれました。
ご縁は、会えない時間の中にも咲いている。
皆さんも会えなくなって寂しいと感じている人いませんか?
そんなことを感じた、ありがたい一日でした。


