涙の数だけ強くなれる…歌詞のような話し

妙法寺に、仲の良い親子が参拝に来てくださいました。
お父さまを数年前に亡くされたそのご家族。
胸の奥には、きっと語り尽くせない想いがあったことでしょう。

「もっと出来たことがあったのではないか」
そんな後悔に胸を締めつけられる日もあったのでしょう。
眠れぬ夜も、不安に押しつぶされそうになった時もあったでしょう。

けれど本堂で手を合わせ、共に祈る中で流れた涙は、すべてを洗い流し、心をリセットしてくれる涙でした。

「涙」という字は、水をあらわす「氵」に「戻」と書きます。
それは“元の生活に戻る”という意味を込めた、先人からのメッセージのようです。
また「泣」という字は「氵」に「立」。
自らの足で、再び立ち上がらなければならないことを教えてくれます。

そして何より、親子の言葉が心に残りました。
「一人娘を大事に、一番に思う優しい父でした」このひと言こそが、お父さまの晩年も含め、すべてを集約しているように感じられたのです。

涙は悲しみのしるしであると同時に、未来へ進むための力に変わる。
供養は、悲しみをなぐさめるためだけではなく、前へ進むためにある。
そして、笑顔を取り戻すためにあるのです。

「また来ます」と微笑んで帰っていったお二人の姿に、私は深く胸を打たれました。
仏さまの前で流した涙が、その笑顔につながったのだとすれば、これほど尊いことはありません。

今日もまた、供養が人を励まし、歩む力となることを教えていただいた一日でした。

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