あるがままを受け入れる智慧
私たちは日々の暮らしの中で、つい「〜すべきだ」「こうあるべきだ」と思ってしまいます。子どもはもっと勉強すべきだ。夫や妻はこうしてくれるべきだ。仕事はこう進むべきだ。お坊さんはこうあるべきだ...(^_^;)と。
「べき」という心が強くなると、思い通りにならない現実にぶつかったとき、怒りや不満が込み上げてしまいます。
仏教では、この「自分の思い通りにしようとする執着」を「我執(がしゅう)」と呼びます。そして、それこそが苦しみの根っこにあると説いているのです。私たちの心が「べき」に縛られている限り、周りに振り回され、いつまでも怒りやイライラから解放されません。
では、どうしたらよいのでしょうか。その答えの一つが、「あるがままを受け入れる」こと。
たとえば、食卓で子どもがコップを倒して水をこぼしてしまったとき、つい「なにしてるの!」「なんでこぼすの!」と叱ってしまいます。しかし、叱ってもこぼれた水が戻るわけではありません。むしろ叱った親も叱られた子も気まずくなり、怒りや後悔だけが残ってしまいます。
けれども、「こぼれちゃったね。じゃあ一緒に拭こうか」と声をかけることができたらどうでしょう。そこには失敗を通じて学び合う親子の姿が生まれます。怒りのかわりに、やさしい時間が育まれるのです。
日蓮聖人は『四条金吾殿御返事』というお手紙の中で、次のように仰せになっています。
「大事の御心ざしは 苦をば苦と悟り 楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合せて南無妙法蓮華経とうち唱へさせ給へ」と。
大切なのは、苦しみは苦しみと悟り、楽しみは楽しみと受け止め、そのどちらも一緒に「南無妙法蓮華経」とお唱えしていくこと。
思い通りにいかない出来事も、仏さまのはからいとして受け止めることができれば、怒りや不満は智慧へと転じていきます。その時、心の支えとなるのが「南無妙法蓮華経」というお題目です。「〜すべきだ」と心が固くなりそうな時、お題目を口にしてみてください。すると不思議と肩の力が抜け、「そうか、こういうこともあるんだな」と受け止める余裕が生まれるはずです。お題目は、私たちの心をやわらかくし、執着を手放させてくださる仏さまの智慧そのものなのです。
「べき」を少し手放すだけで、家庭も職場も人間関係も、もっと温かく穏やかなものになっていきます。怒りを育てるのではなく、やさしさを育てる。その一歩として、ぜひお題目をお唱えいただきながら、日々の暮らしを見直してみませんか。
合掌


