ちょうどよい歩み
秋分の日は、昼と夜の時間がほぼ同じことから、仏教の「中道(ちゅうどう)」という大事な教えと重ねて、前後3日の7日間をお彼岸といいます。この「中道」はお釈迦さまが悟りをひらかれる前に、自らの体験から学ばれたことです。
お釈迦さまは若いころ、王子としてぜいたくな暮らしをされました。しかし、どれだけ満たされても心は落ち着きませんでした。そこで今度は、食べることも休むことも断つような厳しい修行に打ち込まれます。けれども体も心も弱りはて、真理を見きわめる力も失ってしまいました。そこで気づかれたのです。「贅沢も、苦行も、どちらも悟りの道ではない」と。こうして「中道」という生き方が示されました。
中道とは、「まんなかの道」と書きますが、単なる“ほどほど”や“中くらい”ということではありません。どちらか一方にかたよらず、いちばん自然で調和のとれた生き方のことです。
たとえば琴やギターの弦を思い浮かべてみてください。ゆるすぎれば音は出ず、張りすぎれば切れてしまいます。ちょうどよく張られてこそ、美しい音色が響きます。私たちの心も同じで、緩みすぎても、張りつめすぎても、豊かな響きは生まれません。
日常生活でもそうです。仕事ばかりに追われると心身が疲れ果てますし、逆に怠けすぎると張り合いがなくなります。欲望に流されすぎても苦しみを招きますし、抑え込みすぎても元気を失ってしまいます。大切なのは「いまの自分にとって、ちょうどよい歩み」を見つけることです。これが中道の実践です。
法華経は、人を分け隔てることなく「すべての人が仏となる道」を説いています。どんな立場の人も、みな同じ一つの道に導かれていく。そうした教えは、かたよらない“まんなかの道=中道”と受けとめることができます。
情報があふれ、いろいろな考えに振り回されやすい現代だからこそ、「中道」という言葉を思い出してみましょう。そしてお題目「南無妙法蓮華経」をお唱えするとき、自然と心は調い、いちばんよい“まんなか”に立ち返ることができます。
中道とは、特別な人のためではなく、私たち一人ひとりが毎日歩める道です。あせらず、ゆるみすぎず、心を整えて、今日も一歩を大切に進んでまいりましょう。

