善知識 めぐり逢い

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本日12月8日は、今から約2600年前にお釈迦様が成道(じょうどう)された日、つまりお悟りを開かれた日であり、「釈尊成道会」というご聖日に当たります。
お釈迦様は30歳の時、ブッダガヤの菩提樹の下で深い瞑想に入られ、12月8日未明に真理へと到達されて仏陀(ブッダ)となられました。ここに「仏教」が始まったのです。その教えは中国に伝わり、長い空白期間の末に鳩摩羅什(くまらじゅう)という訳経僧により漢文化され、やがて多くの経文が日本に伝来しました。我々が依経とする「法華経」も、その中のひとつです。
さて、これから綴る『法華経の話』にまつわるお話しですが、私が昨年10月に当山の住職を継承して以来、心に深く残る出来事のひとつになりました。この『法華経の話』という書は、当山の御信者の方が、長年積まれて来られた行学の集大成として著されたものです。とは申しましても、この方は今年の5月19日、初めて当山にお越しになりましたので、御縁をいただいてから僅か半年。まさに今、始まったばかりのお付き合いなのです。
 
初めてお会いした5月のあの日…
「どうぞ、どうぞ…」と本堂へご案内しますと、「一読したい。」と仰り、御宝前にお座りになりました。ハイキングの途中で立ち寄られる方は、本堂に上がるとソワソワされる人も多いのですが、さり気ない立ち振る舞いや落ち着いた語り口調から、この御仁がお寺に慣れていらっしゃることはすぐに分かりました。徐に伏拝された後、勧請~方便品~壽量品~神力品~祖訓~唱題~四誓と、経本は手にされず淀みなく読誦されるお姿に、最初は後ろでそっと見守っていた私も、自然と木鉦を打ち読誦唱題しておりました。
お参りの後、いろいろとお話を伺いました。先ほど少し触れましたが、ここ数年我が町ではハイキング客や観光客の誘致が盛んで、道の駅の地元特産品や棚田、寺社仏閣の重文などを積極的にアピールしています。自坊には鎌倉期の大五輪塔があります関係で、団体や個人でこの地を巡られ、当山に立ち寄られるケースも最近では珍しくはありません。このお方も最初はその様な目的で町内を散策されているのかなと思っておりましたところ、お話を伺っておりますうちに、観光目的ではなく何かはっきりとした別の目的で見えられたことが分かって参りました。
 
お話の内容についてはここで詳しくは申せませんが、動画制作編成配信局「Hokke.TV」をご覧になり、私のこと、当山のことを知るきっかけになったようです。「Hokke.TV」の或る番組で紹介された私の活動に感銘を受けて下さり、この出会いは日蓮聖人のお導きだと、後日この冊子を送って下さった上に、今後当山の護持にも尽力したいと仰っていただきました。
その後間もなく体調を崩して入院され、ご自宅で療養されるようになってからは、時折お手紙を交換しております。その一文です。
 
「法華テレビが休止になって寂しいですが、一日も早い再開が切望されます。(中略)小生も、平成四年五月に法華三部経一日一巻読誦を発願して以来、二十一年七百七十七部を読誦させて頂きました。入院中も病室に御本尊を勧請し、一日も欠かさず勤行出来ました。病気平癒の砌には、千部読誦を目指して精進したいと念じております。」
 
「Hokke.TV」に少なからず携わっていた私にとって、その出会いは大変意味深いものでした。番組制作に関わったスタッフの声が、在家の方々に“届き”、そしてそのお心に“響き”、具体的なレスポンスとして“返って来た”のですから。
残念ながら「Hokke.TV」は、諸般の理由により6月末の番組を以って活動停止になっております。しかし、我々日蓮宗僧侶の声を、心待ちにしていて下さる在家の方々が少なからずいらっしゃる。応援して下さるお上人方が、全国各地にまだまだいらっしゃる。一時のムーブメントで終わらせるのではなく、行動する宗門として立ちはだかる様々な困難を乗り越え、何等かの形で再び配信されることを願って止みません。
また、療養中の御信者様が一日も早く快癒され、私の前に涌き出て下さった善知識(ぜんちしき)のお方と、尽きることのない法華経談義に花を咲かせたいと思っております。
最後に『法華経の話』の本文中から。
「善知識=正しい教えは、幸福をもたらしてくれるものです。その幸福は自分だけの力で得られるものではなく、人間関係・社会の環境など、諸々の因縁によって得られるものなのです。ものに感謝するということは、そういう善知識に出会った喜びを経験してはじめて言えることです。感謝の気持ちを持てるという事は、それだけで幸せな証拠です。」
「法華経の一句一偈の中に、人としての生き方を教えてくれる金言を見出し感涙に咽んだこともありました。又、仕事の上で苦難に陥った時、それを克服する事が出来たのも法華経のお蔭であったと思います。以来四十八年余、法華経から学ぶべき事はまだまだ尽きません。毎朝御宝前で読誦する法華経一巻の中の一句一偈から、自己の行動を反省させられる事も多々あります。その教えの深さに新たな感激を覚える毎日です。」
『法華経の話』あとがきより

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