部経会(當山) 誦経の功

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12月5日、当山に京都部経会(ぶきょうかい)の皆様がお越しになりました。
法華経は一部八巻(八巻品)あります。その全巻を通して読誦することを、「部経会」(ぶきょうえ)や「一部経通読会」などと呼びます。
私は今から3年ほど前より、京都の日蓮宗青年会が結成50周年の記念事業の一環として行っていた部経会に通っていました。発足より3年半の長きにわたったその部経会も、本年4月の比叡山横川定光院を最後の会所とし、無事円成しました。その後間もなく、有志僧が集い「京都部経会」が結成され、翌5月30日には京都西陣の本瑞寺様で第一回部経会が開かれました。
そして結成より半年、自坊では初めて、多くの僧侶による一部経読誦の声と木鉦の音が響いたのです。前回開催から日があまりなかったため、檀信徒へのアナウンスも十分ではありませんでしたが、当日は聞きつけた檀信徒の皆さんがお参りに見えて下さり、一心に聞法の行に取り組まれていました。
お昼にはお上人方と参詣の皆様に、粗飯(カレーライス)をお出し致しました。若いお上人が列を作ってお代りされたり、その対応に婦人会の方が忙しそうに嬉しそうにされていたり、檀信徒の方が普段の集まりとは違い和気あいあいとお食事されていたり…
何だか昔懐かしいお寺の雰囲気に包まれた1日でした。
唯々、感謝、感謝、感謝………
京都部経会の皆様、遠路ご参加いただきましたお上人方、豊能のお上人方、お手伝いをお願いしました婦人会の方々、そしてお参りして下さいました檀信徒の皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 
追 記
数日前から、普段の法要と変わらず淡々と準備をしていたのですが、部経会の3日前、真如寺の御前様の治療に伺っておりましたところ、ちょうどその話題になり、「自坊では初めてのことで、今からワクワクしております~♪」なんて、軽いノリで話しておりました。
すると「いやぁ、それはスゴイですね!能勢でも初めてなんじゃないですか。」と仰られたものだから、何だか急に緊張のスイッチが入ってしまいました。同じ仏具を右に置いたり左に移したり、はたまた奥に仕舞い込んではまた出してきてみたり…一人あたふたする3日間でした(笑)
 
【誦経文】(じゅきょうもん)※部経の前などにお唱えする要文です
叙して曰く、誦経の利甚だ大いなり。諸経に皆云く、無量の珍宝を以て布施するも、持経一偈の功に及ばずと。要す、須らく一心専念にして、音吐遒亮に文句分明なるべし。所謂、法音を歌誦して、これを以て音楽とするものか。智者大師の曰く、凡そ誦経の時は、即ち座下に皆天龍八部四衆あって囲繞聴法す。乃ち、我れ能く法師となって佛の正法を伝え、四衆の為にこれを説くと観ぜよ。誦経すでに竟らば、この功徳を以て一切衆生、未来世に於いて共に正覚を成ぜんと願すべし。南岳大師の曰く、散心に法華を誦し、禅三昧に入らず、坐立行一心に法華の文字を念ず。行若し成就すれば、即ち普賢の身を見る。荊谿尊者の曰く、一句も神に染みぬれば咸く彼岸を資く。思惟修習、永く舟航に用たり。随喜見聞、恒に主伴と為る。若しは取、若しは捨、耳に経ては縁を成ず。あるいは順、あるいは違、ついにこれに因って脱す。無尽居士の曰く、佛は無上の法王たり。金口の所説、聖教の霊文、一たびこれを誦すれば、則ち法輪となって地に転ず。夜叉空に唱えて四天王に報ず。天王聞き已って、是の如く展転して乃ち梵天に至る。幽に通じ明に通じて、龍神悦懌することなお綸言の如し。孰か欽奉せざらん。誦経の功、その旨是の如し。(元政)

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