HERO

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先日の御法事には、阪〇電鉄の運転士さんがお二人お見えになった。今年13回忌をお迎えになられた御尊霊もまた、同じ電鉄会社の運転士さんだった。

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私は小さい頃からその電車が大好きだった。母に連れられデパートや遊園地に行くことよりも、途中その電車に乗れるのが一番の楽しみ。個性豊かなボディカラーと、垢抜けた明るい車内。車掌のアナウンスは、何を喋っているのかほとんど聞き取れない独特のイントネーションだったが、それがたま らなく格好良いと思っていた。

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とにかくその電車に乗るのが、楽しみで楽しみで仕方なかった。幼い私にとっての夢列車。その路線が環状線だったなら、きっと何周も乗っていたに違いない。
そしてその電車の運転士さんは、当時の私にとってはまさに憧れの的。おまわりさんもパイロットも、アイドル歌手も無敵のTVヒーローさえも目じゃない。「何でウチはお寺なんだろう?」と、真剣に悩んだ時期もあった。

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そんな私の目の前に、なんとお三方(お二人と一霊位)もヒーローが!
故人にまつわるお話に花が咲くと、お次は自然と現役時代の様々なエピソードへ。数あるエピソードの中でも、ブレーキの話には聞き入ってしまった。車両は全て空気式ブレーキなのだが、旧式の車両は今のようにエアが常に電気で供給されている訳ではなく、一旦使い切ってしまうと次に溜まるまで少し時間を要したらしい。

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宝〇線中〇駅から終点の梅〇駅までは、昔は長いだらだら下り坂が続いていた そうで、終点(梅〇駅)までの距離を逆算しながら、その坂の途中でエアを使い切り、そして再度蓄積して終点駅でピタリと停車させるという。ラッシュ時など で乗客が多い時には、ブレーキの効きも変わるので、長年培った感と熟練した技術が要求されるのだ。

「梅〇駅でブレーキが間に合わない夢を見て、うなされた夜もよくあった?」という。

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ううむ…プロフェッショナルであるがゆえの日々の重圧。そんなご苦労も、普段は全く感じることなく、我々は当たり前のように電車を利用している。先輩運転士たちの日々研鑽が、鉄道の安全性を高めてくれている。(過密な運行ダイヤには憂慮するが…)

そんな彼らは、今でも間違いなく私のヒーローだ。

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JRは線路幅が狭くて車両が軽く、阪〇は線路幅が広くて重いという話や、カーブでは様々な速度での侵入を試みて、常日頃から安全性を確かめていたこと。人身事故等でダイヤが乱れた時の緊張感。オーバーランしてしまった時の対処。
その他「京〇線では、並走する国鉄(JR)に負けないように走っていた?」「神〇線沿線は、多くの人の憧れの街だった?」「運転手さんはもてた?」などなど、現場ならではのご苦労や笑い話を伺えた。

御尊霊も悦んで下さった…かな?!

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※画像には能勢電鉄(阪急型落ち車両)路線も含まれます

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