今、覇権主義がエネルギー資源をめぐって、自己主張を強化し、威嚇を強めています。
採掘技術の進歩に伴い化石燃料は枯渇するまで使い続けられ、お次は、僅かな自然エネルギー利権をめぐった争いでしょうか。
50年後、100年後の我が国におけるエネルギー事情はどうなっているでしょう。エネルギー経済統計データによると、東日本大震災の前年の2010 年、日本のエネルギーの自給率は原発電力を含めると19.9 %で、原発電力を除けば国産は主として水力だけで4.6 % 程度だったそうです。
そして震災から3年半になろうとしていますが、国内で唯一稼働中だった大飯原子力発電所4号機が定期検査のため昨年9月に停止して以来、稼動中の原子力発電所は0基のままこの夏を迎えています。(17原発48基中稼働なし)
「国内にある全ての原発を停止させたら、直ちに非常事態に陥ってしまう!」ような、まるで脅しともとれる原子力ムラ発言もあったように記憶していますが、結局原子炉が全停止しても、日本のGDPは落ち込むどころか過去2年は成長傾向にあったようです。これは、消費電力の3割強を原発で賄ってはいましたが、全エネルギーから見れば1割程度しかなかったという事実からも頷けます。
因みに、2014年8月現在、原子力災害対策特別措置法第15条に基づき、2011年3月11日に内閣総理大臣により公示された“原子力緊急事態宣言”は未だ継続しています。
しかし、肥大化してしまった我が国の経済には、じわりじわりと影響が及ぶでしょう。今後更なる経済成長、国力の増強を目指す安倍内閣には、一層多くの電力が必要となります。電力生成には、原発に加えて、火力、水力、再生可能エネルギー等を組み合わせた電源の“ベストミックス”が政策的に求められているようですが、やはり日本においては、エネルギーの屋台骨は当分の間「輸入化石燃料」に頼らざるを得ず、50年後においても化石燃料が主流になっているといわれます。石油や石炭などはプラスティックの原材料としても有用ですし、世界の様々な場所に埋蔵されるとされる「シェールガス」の登場で、天然ガス枯渇の心配が無くなったともいわれます。ただ、シェールガスも当然二酸化炭素を排出しますので、懸念されるのは地球温暖化です。メタンハイグレードもまだまだ採掘技術の壁は厚いようです。
低エネルギーで持続可能社会の実現…そのためには、「再生可能エネルギー」についてコスト高や広大な開発行為等の難問をクリアする努力を続け、未来を見据えた取り組みを積極的に推進したいものです。
今後、世界におけるエネルギーの争奪は、中国やインドをはじめとして益々激化するでしょうし、新エネルギーの権益についても、中国などに大きく水をあけられているのが現状です。現政権の方針通り、形振り構わずに国力を高め、国際競争力を身に付けなければ、常に足元を見られ不利な条件ばかりを押し付けられるかもしれません。また、放射性廃棄物の問題や安全対策の問題を抱え、日本が原子力技術を完全に放棄するとしたら、原子力を推進する近隣諸国の原発事故に対して、有用な対策を講じることが出来なくなるかもしれません。
国際社会の中での熾烈なせめぎ合いを凌いで行く上で、平和的な理想に突き進むことが、必ずしも高度な文明を手に入れた人間社会の安穏に直結しないのが現実のようです。
そして、広大な開発を必要とする「再生可能エネルギー」に関して、まことしやかに流される非常識発言。
我が国の首長(震災発生当時)は、震災後の演説で「家屋への太陽光パネル1千万戸設置」「自然エネルギーの発電割合を、2020年代までに現在の9%から20%にする」と表明しました。
「どちらも計算すれば非常識な数字と分かるが、当時大きく問題にされることはなかった。自然エネルギーに関しては、今も同様の非科学的な発言をする人がおり、そうした発言が放置されているのが現状だ。」(筑波大学掛谷英紀准教授)
『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く』を読みました。マネー資本主義の現代社会におけるサブシステムとして、里山生活でのエネルギー自給を奨励するといった内容でした。「田舎を見直して、マネー主義と少し距離を置きましょう」という観点では、大変興味深く読みましたが、現実的にこのエネルギーの自給にはまだまだ問題もあるようです。