再生Ⅰ ~NとLの野球帽~

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先日、小学校の恩師のご葬儀で、導師を務めました。
 
私が小学校4年生の時の担任でした。言葉数少なく、表情もそんなに豊かな先生じゃありませんでした。もしかしたら3年生までずっと女の先生だったから、余計にそう感じたのかもしれません。
私が自坊に戻った時には総代をお務め頂き、昔と変わらず淡々とされ、それでいて存在感のある方。私の記憶が正しければ、担任の時にはいつも児童の目を見据えて、一言一言噛みしめるように話され、教科だけに限らずその時代の日本や世界のことについても色々と教えて下さいました…
 
60~70年代の著しい経済成長は、子どもの目にも明らかでした。
 
カラーテレビや洗濯機、新幹線などの文明の利器が次々と登場し、日々それらの恩恵に与り、オリンピックや大阪万博等の華やかなイベントが催される中、家族や友達と過ごす毎日は新鮮な驚きと感動に満ち、目に映るもの何もかもが煌めいていたように感じました。
町も、道路も、車も、人も、どんどん綺麗になっていきました。今まで、あまり物がありませんでしたし、片田舎で大した情報もなく、何も知らなかった田舎っぺたちは、テレビやラジオから届けられる様々な情報に夢を膨らませました。食事するのもテレビを観るのも、寝る時間もほとんど同じ。本当に幸せだったと思います。
 
もちろん、当時はそんなことを考えもしませんでしたが、今になってこうして振り返ると、スローライフの中に新鮮な刺激がたくさん詰まった幸せな時代でした。
 
近頃、そんな当時の日本の成長を、第一線で支えて下さっていた方々の訃報に接することが増えました。
葬儀で導師を務める際には、「私たちが希望の持てる日本に再生して下さった」ことに対し、深い感謝の意をお伝えしています。
NLの時代は、まさにそんな希望に、みんな汗した頃…

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