だんしんきょう 令和6年 12月号

開催日:2024年12月01日

第3回日蓮宗全国檀信徒協議会常任委員会
本山の歴史、たたずまい、貫首の思いに触れる

常任委員会

 令和6年度第3回日蓮宗全国檀信徒協議会常任委員会が10月30日、佐賀県佐賀市の國相寺で開催された。当会では年間の活動計画に掲げている「祖山・霊跡・由緒寺院・宗門史跡護持顕彰」の一環として、平成27年度から3回目の常任委員会を全国各地の寺院で開催、翌日に本山寺院を団体参拝している。
 会議に先立ち本堂を参拝。松島正静住職が加行所入行ため、同県宗務所長で小城市本山光勝寺貫首の松島日應師を導師に法味言上し、國相寺の縁起を拝聴した。会議では池上幸保会長の議事進行のもと、今年度の活動の報告・確認、総会をはじめとする来年度の活動・事業等について意見交換が行われた。懇親会では、各委員の管区、菩提寺での活動などについての情報交換をし、有意義な場となった。

鎮西本山光勝寺団参

 常任委員会の翌日、委員有志が本山光勝寺を参拝した。小城市は、早くから日蓮宗の教えが広まった地域で、光勝寺はその中心的な存在だった。
 千葉県大本山中山法華経寺の大檀越だった千葉胤貞は、現在の千葉県と佐賀県小城市を所領としていた。正和2年(1313)法華経寺第2世日高上人は小城市に日厳上人を、第3世日祐上人は延文4年(1359)に日貞上人を派遣し、千葉氏の外護のもとに光勝寺の基盤が確立。多くの末寺が形成されていった。この由緒から、光勝寺では開創を文保元年(1317)とし、開山日祐上人、開基(第2世)日貞上人、開基檀越千葉胤貞としている。
 光勝寺の住職は、法華経寺の九州門末を指導・監督する導師として、法華経寺貫首に代わって下向しており、この体制は戦国時代末まで続き、永享5年(1433)には「鍋かむりの法難」で知られる久遠成院日親上人も惣導師第15世として着任していている。
 文禄年間(1593~96)には、鍋島藩初代の鍋島直茂が本堂を再興。伽藍の整備が進み、江戸時代に入ると、後水尾天皇から「護国光勝寺」の勅額を拝領した。本堂内、祖師堂内については、堂内整備や仏像修復のため立ち入ることは叶わなかったが、山道から続く本堂までの道のりは身延山久遠寺を思わせる情景だった。また松島貫首の光勝寺復興へ不退転の決意を聞き、参列した常任委員は深い感銘を受けた様子だった。
 この団体参拝の報告をきかっけに、本山貫首の想いを聴きながら歴史ある本山ならではの空気に触れることの素晴らしさが全国の檀信徒に伝わることを期待する。

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