だんしんきょう 令和6年 7月号

開催日:2024年07月01日

カンボジア旅行で感じたこと
自然の力の偉大さに感銘
敬い尊重しあって共生社会を築こう

岡田一弥氏
全国檀信徒協議会常任委員
東京都目黒区立源寺筆頭総代

 今回は私が旅行で訪ねたカンボジアの都市シェムリアップで聞いた話をしたいと思います。
 シェムリアップはアンコールワットやアンコールトムなどの宗教遺跡群で有名な観光都市です。前記の2つの有名遺跡の次に訪れる人が多いのがタ・プロームです。石造りの寺院に巨大なガジュマルの樹木が時に血管のように時に大蛇のように絡み付いていて、包み込まれているというより飲み込まれている感じの遺跡です。そう聞くとどこかで見たことがあるとイメージが湧く人も多いのではないでしょうか。2001年公開の映画「トゥームレイダー」の撮影場所にもなっています。
 クメール王朝アンコール朝最盛期の国王ジャヤヴァルマン7世が1186年に母親のために建立した大乗仏教の寺院でした。しかし、王朝の衰退後ジャングルに飲み込まれて、1880年代フランス統治下で修復が開始されると共に再び広く知られるようになりました。長年放置されていたので倒壊が進んでいますが、現地のガイドから①自然の力②人の力の2つによって現在の姿になったと説明を受けました。
 ①の自然の力とは以下のような事柄です。雨季に鳥が寺院の上に糞をしてそこに木の種が偶然落ち途轍もない時間をかけて根が石を割り地面に至りました。やがて成長した木々が遺跡を覆い隠すほどになりました。これは途中までは寺院を壊す作用でしたが、木が充分に成長すると遺跡自体を包み込んで逆に崩壊を止めて保存する役割を果たしています。
 ②の人の力とは宗教対立によるものです。当初仏教寺院として建てられましたが、この地域が別の宗教を信仰する王朝に支配されるようになったとき、寺院の壁画の仏像はすべて削り取られてしまいました。中心の仏像は残ってはいるものの、頭部や手が失われた無惨な姿になってしまいました。一度失われてしまったらもう取り返しはつかないのです。
 自然の力はある段階で折り合いをつけ共存、共生しますが、人の力は0か1になってしまうようなことも多いという話でした。
 タ・プロームは黙して多く語らないどころか「多くを語っている」と強く感じて遺跡を後にしました。単に約千年前の栄枯盛衰の歴史の話に過ぎないとはとてもいえない感情が満ちて来ました。
 日蓮宗では、長期布教方針として「いのちに合掌」を掲げています。「いのちに合掌」とはすべての存在が尊い「仏さま」になり得る存在として互いに尊重しようと呼びかけるものです。そしてすべてが共に生きることのできる世界を目指します。カンボジアで人の力は0か1にすると聞きましたが、0にしないのが「いのちに合掌」の本意だと思いました。分かりやすくいえば、すべての存在を「生かす」ことです。そのために自分たちはどう行動していかなければならないのか。そんなことを考えさせる旅になりました。

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