石永 辰秋氏
宮崎鹿児島沖縄三県檀信徒協議会副会長
宮崎市上行寺総代
趣味・カメラ
戦争体験者として、私は今、一番平和の尊さを感じています。
私は昭和3年、石永家の三男として宮崎県で生まれました。高等小学校を卒業後(現中学3年生)、機関士を志し、昭和18年国鉄(現JR)に就職しました。当時は第2次世界大戦が始まった頃で、ただただ「国のため、国のため」と言われる時代でした。戦時下ではロッキードやグラマン戦闘機の機銃掃射をしてくる中での鉄道輸送の仕事は、まさに命懸けでした。戦中のみならず戦後ともに大変な時代でしたが、40年間ひたむきに仕事を続けたことは私の誇りです。退職は昭和58年、54歳でした。
私の家は元々熊本県でした。祖父は子どものころ体が弱く、熊本市の本妙寺に身体健全を願掛けし、「一生お題目・日蓮宗を信仰します」との誓いを立てたことが始まりで、お題目とのご縁ができました。
それから父の代になった大正5年、宮崎市に移り住むことになりました。それ以来、上行寺にお世話になり、代々のご住職から公私ともに指導を受けて参りました。私の兄もお寺で総代を務め、上行寺100年記念事業では、新客殿庫裡建設に尽力しました。
私もお寺の年中行事には欠かさず参加し、総本山身延山久遠寺を始め、数々の日蓮宗寺院へ何度も参詣させていただきました。山梨県・七面山には4回登詣し、その度ごとのご来光に感激いたしました。
これまでの団体参拝で、特に印象深いのが、沖縄での終戦50年慰霊法要でした。私の次兄の喜助が23歳の若さで沖縄で戦死しているからです。戦死の通知は、「昭和19年9月3日に写る」と記載のある写真が送られてきただけで遺骨すらなく、今も沖縄のどこかの地で土となり存在している兄のことを思うと、供養を続ける気持ちが絶えません。
お寺の世話人として45年、現在は総代を19年務めております。毎月12日にお寺で行われている、日蓮聖人お逮夜法要と勉強会には14年間参加しております。
そんな中、昨年4月、もうひとつ忘れられない想い出ができました。それは近所の橋の開通式で「渡り初め」の大役に選ばれたことです。「代々平和が続きますように」との開通式テーマに沿って、渡り初めの大役に親子夫婦3世代々で選ばれました。
当日は宮崎市挙げての記念式典でしたが、あいにく土砂降りの雨。大変でしたが、特に家族の記憶に残る式典となりました。
私はお題目、お寺さまのお陰で今年93歳を迎えましたが、最近特に心身の衰えを感じるようになりました。しかし今後もできる限り、コロナ感染症収束・日本国安泰・家内安穏、そしてなにより戦争を体験した者として、平和な世の中になることを心から願い、法華経読誦・お題目唱題に励みたいと思います。