早坂 晃 氏
全国檀信徒協議会常任委員
宮城県檀信徒協議会長
塩竃市顕妙寺総代
昭和28年2月7日生まれ
趣味:ゴルフ
私とお題目
私は昭和28年、宮城県塩竃市に生を享けました。祖母が熱心な日蓮宗の信徒で、毎夕に家族で「南無妙法蓮華経」を唱える環境で育ちました。
就職で実家を離れ埼玉県での生活が始まりましたが、数年後、会社倒産の憂き目にあい、妻を帯同して実家に身を寄せました。ちょうどその時、帰省後まもなく体調を崩していた祖母が亡くなり、祖母が使用していた家が空いたのでそこでの生活がスタートしました。今思えばきっと祖母に引き戻されたのだろうと思います。
菩提寺の顕妙寺との関係は、父が護持会の会計を担当し、慣れない手で電卓をたたき苦労しているのを見て、手伝いはじめたのが最初です。その後、父が引退し、私が護持会の会計担当となり、何もわからないままお寺の行事に参加するようになりました。
有志による七面山登詣にも声をかけていただき、初めて登った時には予想以上の登山の辛さに、2度と来るものかと思いました。しかし時間がたつとまた登りたくなり、毎年登るようになり、とうとう登詣20回になりました。
塩竃市から七面山に行くには、夜9時頃に車で出発し、早朝から登り、その日に下山し1泊、翌日久遠寺の朝のお勤めに参加し帰宅するという行程でした。ある年は日野教恵住職と参加者の予定が合わず、12月の末に夜出発、早朝から登り、下山したその足で宮城に戻るという強行軍も今となっては良い思い出です。
宮城県から身延山の団体参拝となると、2泊3日の日程となります。例えば金・土・日の日程であれば住職にお願いし、金曜日の仕事終了後に新幹線などで移動し、宿泊先で合流するという方法で参加させてもらったりもしました。私としては、まず社会人として自立し、認められ、経済的にも安定するのが最優先にしなければならないと考えていました。その上でお寺の行事に参加するという考えでやってきました。
昨年6月、現役を引退しました。サラリーマン時代の40数年を振り返れば、困難な場面に直面することが多々ありましたが、心の中でお題目を唱えると、心が落ち着き、無事乗り越えることができました。これもひとえにお祖師さま、そして守護神さまのお力で導いていただけたことと確信しています。
昨年10月には、日蓮宗中央檀信徒研修道場への参加の機会をいただき、身延山の清々しい空気に触れながら2泊3日の日程で指導を受けました。最終日には内野日総法主猊下とご面談し、貴重なお言葉と直筆の色紙まで頂戴いたしました。改めて心のよりどころとなる信仰の大切さを再認識しました。
今年に入り、日蓮宗全国檀信徒協議会常任委員という大役を拝命しましたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、宗務院へのご挨拶もできない状況となっております。これからの第2の人生では、住職や諸先輩の指導を仰ぎ、宗門ならびに菩提寺の発展に微力ながら精一杯務めさせていただく所存です。