拠り所としての宗教
増田定男氏
千葉県北部檀信徒協議会副会長
市川市東光寺総代
昭和21年10月9日生まれ
趣味:読書、ゴルフ
混沌とした時代を生きる指針
檀信徒の使命を考え真の奉仕を
千葉県北部檀信徒協議会という組織があることを知ったのは、令和5年7月のことです。恥ずかしながら、それまでこの組織の存在をまったく知りませんでした。
ある日、同会事務局長の中臺洋さんから「副会長を引き受けてもらえないか」という電話がきました。中臺さんは所属クラブは違いますが、同じロータリアンです。ご存知かもしれませんが、ロータリークラブは世界規模の奉仕団体です。クラブごとにそれぞれの地域に根ざした奉仕活動をしています。頼まれたら否はないロータリー精神と、これも地域貢献だという思いから、副会長という重責を担うことになりました。
私の家は、千葉県市川市東光寺の檀家です。幼い頃に祖父が、その後は父が檀家総代をしていて、私もいつかその役に就くつもりでいました。家の宗教とはそういうものだと思っていました。約15年前に檀家総代を引き継いだのは自然の流れだったのです。けれども、日蓮宗や日蓮聖人について不案内だということに気づき、これはいかんと勉強を始めた次第です。
日蓮聖人が生まれ育ち、その名を馳せた鎌倉時代は、まさに混沌の時代でした。朝廷・貴族から武士へと権力が移り、民衆が右往左往したであろうことは想像に難くありません。その拠り所となったのが宗教だったのでしょう。歴史のなかでは、民衆とひとくくりにされる市井の人びとですが、1人ひとりが確かに生きるための指針を示したのが宗教だったと思えてなりません。
ノーベル平和賞を受賞した団体のあるこの国は平和で、一見大きな問題を抱えているようには見えません。ところがその内実はどうでしょう。出生率の低下に伴う人口減少、温暖化による災害の頻発、幼稚な犯罪者の急増、身勝手な誹謗中傷が人を殺す時代です。人との距離が測れず孤立する人、闇バイトと称する犯罪にいともたやすく人生を狂わされる無知、これだけ世間に取り沙汰されても決してなくならないいじめ、引きこもり、依存…。ここに書ききれないほどの問題を抱えている今、この時代こそ混沌と呼ぶにふさわしいのではないか、と考えてしまいます。この混沌とした時代に一体なにを信じればいいのか。なにが拠り所となるのか。迷える人の声が聞こえる気がします。
もしも現代に日蓮聖人が生きておられたら、この時代をどう思われたでしょうか。なにをなさったでしょうか。どのようにお導きになられたでしょうか。
その答えを探すことが、わたしたち檀信徒に課せられた使命なのかもしれません。それぞれが自分なりの仕方で、今の時代に異議を唱えていくことが、真の奉仕といえるのではないかと考えています。