🆕日蓮宗東京都北部布教師会第66回教師研修会報告

開催日:2026年02月18日

 当山住職が副会長を務める日蓮宗東京都北部布教師会の第66回教師研修会が、令和8年2月18日、当山要傳寺を会場に開催されました。名古屋大光寺住職で医学博士でもある村瀬正光師を講師に迎え、「看取りへの関わりと遺族ケア―日蓮宗教師としての檀信徒との関わり方―」と題して、医師としてのライフワークでもある終末期医療に従事されてきたご経験をもとに貴重なお話をいただくことができました。

 村瀬師の講演内容は、大きく分けて3つの柱からなっていたのではないかと思います。
 一つ目は、重い病に苛まれ悩みを抱えて寺に相談に訪れた当事者に対するケアです。相談者本人との関わりの中で大切な「傾聴」の態度、言葉遣いや振る舞いに始まり、更には面談の際の環境作りに至るまで、実に具体的示唆に富んだアドバイスをいただきました。
 当山住職がかつて奉職した立正大学で、心理学部立ち上げの頃からお世話になった元立正大学教授・臨床心理学者・臨床心理士・日本カウンセリング学会認定カウンセラーの松原達哉氏が、「表現は不適切かも知れないが、カウンセラーは〈心の便器〉である。相手の発言を明確化し共感をもったことを明示してあげることが大事で、カウンセラー自身は助言や指導をする立場ではない。相手の発言を要約して相手に反映してあげるだけて、カウンセラーが親身になって自分の苦しみを納得してくれたと安心を抱くものである」ということを語られていたことを思い出しました。
 僧侶に求められる姿勢も同じなのですが、注意しなければならないことは、相談者が、病院の医師やカウンセラーではなく、「お寺のお坊さん」に相談に来た意味を深く考えること。本日の研修で、身なりひとつとっても、僧侶としての正装で面談に臨むだけで、神仏にすがりたいと願う相手の気持ちに応え、寄り添えることになるということも知りました。
 二つ目の柱は、患者の家族、葬儀にあたっては「遺族」に対するケアで、僧侶が葬送に携わる際に心がけるべき点についてご教示いただきました。
 病院では、医療従事者は、死者を生者と同じように扱い、丁寧な言葉がけを行い、労をねぎらいながら別れを告げ、決して「物」として扱っていないという話から、これは僧侶にも求められる姿勢であり、葬儀に臨む際には、故人の生前の足跡を讃え、その人生に敬意を払い、「いのちに合掌」の心情で死者の尊厳を重んじる姿を、檀信徒や会葬者に見せてあげる、そうした僧侶の振る舞いが、見る者の心を動かすことがあるのだということを、私たちは覚えておかなければならないと教諭いただきました。
 そして、講演の柱の三つ目、それは冒頭で村瀬師が岸本英夫著『宗教学』(原書房、1961年)を引用しつつ講じられた内容となりますが、布教にあたって留意すべき点は、「信仰は強制・強要するものではない」「内なる自発的目覚めがないと解決できないものである」ということ。
 小生も台東区の教育委員時代に出会った出来事で、Educationという言葉も似通った部分があり、日本語では「教育」と訳されますが、その語源は、ラテン語の「educere(エデューケレ:引き出す)」や「educare(エデュカーレ:育てる・養う・ケアする)」に由来し、それは、知識を一方的に詰め込むのではなく、個人の中に眠っている才能・能力・可能性を外側へ引き出し伸ばすことを本質とする考え方だと言われています。
 実はブッダも同じで、仏伝などを繙くと、弟子や信者に対する釈尊の教化も、教え授けること(教授)ではなく、彼らの「気付き」を促すことに軸足を置いていたことを知ることができます。
 檀信徒に「南無妙法蓮華経」の題目をひたすら唱えてもらうだけでも唱える者の「気付き」になることがあるし、僧侶が境内の清掃や三宝給仕の姿を見せることも見ている者の「気付き」になる。よく、布教とは、言葉や文字だけが布教なのではなく、そうした後ろ姿を見せていくことも大切、「背中で教えを説く」ことも大切な布教なのだと言われたことがあります。そうした根源的な心構えも再認識することができた、この度の研修会でした。(文責:髙森大乗)

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