『日蓮宗新聞』原稿掲載

開催日:2009年04月08日

「『立正安国論』にみる日蓮聖人の教え 第10回 法華正法の教学―釈尊の真実の教え―」が、『日蓮宗新聞』1998号(日蓮宗新聞社、2009年4月1日)に掲載されました。


『立正安国論』に見る日蓮聖人の教え 第10回 「法華正法の教学 ―釈尊の真実の教え―

  『立正安国論』の標題
 日蓮聖人が三十歳代後半に著された『守護国家論』や『立正安国論』の存在は、聖人の布教活動の初期において「守護国家」「立正安国」という理念が既に根本命題としてあったことを知る証となる。
 高木豊氏は、鎌倉仏教の祖師たちの著作を比較・検討し、浄土門を主張する浄土教とは対峙的位置にあった聖道門の諸教団の中に、護国・安国の理念が明白に示されていることを指摘される。その上で、「護国」は政治・軍事によっても実現可能であるが、「安国」はただ宗教のみがなし得るところであること、「守護国家」は何によって国家を守護するかが不明瞭であるが故に、聖人は題名を充実して「立正安国」としたことなどを示唆されている(高木豊著『日蓮―その行動と思想』太田出版ほか)。
 では、日蓮聖人が、「立正安国」の「正」の字に標榜されたものは何であったのだろうか。「正」とは「正法」の義すなわち「釈尊の真実の教え」であるが、日蓮聖人は具体的に何をもって「正法」と定められたのであろうか。

  「立正安国」の「正」の字が示すもの
 『立正安国論』には、有名な結語に「汝早く信仰の寸心を改めて速かに実乗の一善に帰せよ」(定二二六頁)の一節があるが、実は本書には「実乗の一善に帰せよ」の表現はあっても、「法華経に帰せよ」とは一言も述べられていない。法華経への帰依を直接的に進言した文言はみえないのである。そればかりでなく、安国を実現すべき正法が何であるかについても具体的に明言されていない。何故に「立正」の内容を詳述されなかったのかについては、本書の諫言により、仮に幕府が触発されて他宗との公場対決を企てるに至ったならば、その時まさしく「正法」を提示しようと思い、本書執筆の段階ではまだ明示を避けたのではないかと推測されている。

  見えてくる日蓮聖人の真意
 ところで、日蓮聖人の初期教学においては、「法華真言未分」または「法華涅槃未分」といって、法華経と真言密教、あるいは法華経と涅槃経とを、ともに等しい価値を有する教えとして捉える姿勢がみえる(定八九頁・二二三頁等)。初期日蓮教学における「正法」の解釈には、法華経のみに限定されない柔軟な経典受容の姿勢が根底にあったと考えられている。
 ある意味において、法華思想に開会される諸経典中の説示を、一定の価値観によって受容するというその姿勢は、聖人の生涯を貫くものでもあったわけであるが、しかしながら、『立正安国論』を熟読すればするほど、正しく聖人の真意をくみとることの難しさを改めて自覚する。
 『立正安国論』において、法華涅槃未分の根拠とされるのが、第七番問答の「法華・涅槃の経教は、一代五時の肝心なり」(定二二三頁)である。第七番問答では、災難の対処法として謗法対治の具体的先例を仏典に求め、涅槃経・仁王経・法華経より一〇種の経文証拠を引き、謗法に対する止施・禁断謗施、あるいは為政者等による正法護持のための執持刀杖の必要性が主張される。ここでは、法華経とならんで涅槃経をも「一代五時の肝心」と定めるが、これはあくまでも謗法禁断を説く経典群としての両経の位置づけを示しただけのものであって、聖人の初期教学の特色のひとつとされる法華涅槃未分の論拠には、必ずしもなり得ないのである。
 その証拠に、第四番問答には「一代五時の肝心たる法華経」(定二一六頁)と断定するばかりでなく、無量寿経の「誹謗正法」の文と法華経譬喩品の「毀謗此経」の文について、聖人が同等の価値を有する経文として評価されていることは重要で、これらの経文を会通すれば、「正法」が「此経」すなわち法華経に比定されることを読み取れるのである。この表現は、また、「一代五時の妙典」(定二一六頁)や「実乗の一善」と等価値であると見なすことができ、すなわち「立正」の「正」の語の指し示すところが法華経であることを暗示するものと思われる。
 『立正安国論』における「正法」「実乗の一善」は、紛うことなく、法華経なのである。                                       (立正大学准教授 高森大乗)
 

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