日本仏教の歴史

 約2500年前にインドで釈尊によって創始された仏教は、中央アジア・中国大陸・朝鮮半島などを経由して、6世紀の中頃、日本にもたらされました。
 それから現在に至るまでの1400有余年という長い歴史の歩みの中で、さまざまな宗派が中国から伝えられました。
 仏教が始めて日本に伝えられたのは六世紀中頃の、538年(一説に552年)であったとされます。奈良時代(710~794)に入ると、いわゆる「南都六宗」とよばれる三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗が中国から相次いで伝えられました。これらは後代に独立してくる宗派とは違って、一種の学派(学問の流派)的存在で、大部分の僧侶は一つの特定の宗派に属するというよりも、六つの宗派の教義を兼学していたのです。
 平安時代(794~1192)の仏教の主流は、伝教大師最澄(767~822)によって伝えられた天台宗と、弘法大師空海(774~835)によって伝えられた真言宗です。特に最澄の最大の功績は、朝廷より認可を得た大乗菩薩戒の戒壇を比叡山に建立したことです。それまでの出家者は、「日本三大戒壇」で知られる大和(奈良)東大寺、下野(栃木)薬師寺、筑紫(福岡)観世音寺のいずれかで、僧は二百五十戒、尼は五百戒もの具足戒(小乗戒)を守ることを誓約して受戒しなければ僧尼になれなかったのですが、大乗菩薩戒は、五戒・十重戒・四十八軽戒などの純粋・肝要の戒(梵網戒)を専らとするものでした。以後、天台宗は、鎌倉新仏教の祖師をはじめ多くの僧尼を輩出するなど、日本仏教の頂点に君臨することとなります。なお、平安時代の末期に、浄土教の一つの流れである融通念仏宗が現れます。
 末法思想とよばれる一種の仏教的末世観によって、三つの仏教の流れが新しく独立してくるのが鎌倉時代(1192~1333)です。これらが、現在に至るまでの日本仏教の主流になっています。すなわち、浄土・禅・法華(日蓮)の三宗で、浄土系としては、平安時代の末に独立した、良忍(1072~1132)による融通念仏宗のほかに、法然(1133~1212)の浄土宗、親鸞(1173~1262)の浄土真宗、さらに、一遍(1239~1289)の時宗があります。禅の流れには、栄西(1141~1215)によって伝えられた臨済宗と、道元(1200~1253)を開祖とする曹洞宗があり、日蓮宗は日蓮(1222~1282)によって開宗されました。なお、禅の流れには、江戸時代の初期に中国僧の隠元(1592~1673)によってわが国にもたらされた黄檗宗があります。
 その後、江戸時代には、徳川幕府の宗教政策によって寺請制度・檀家制度が定められ、庶民はいずれかの宗派の寺院の檀家として所属することが義務づけられました。これにより、幕府は、庶民の戸籍を管理し、自由な土地の移動を制限し、またキリスト教などの流入を防いだのです。
 明治元年(1868)、神道国教化政策を理想とする維新政府の祭政一致の方針に基づいて神仏分離令が布告されると、廃仏毀釈というような粗暴な措置に出る藩が多く現れ、仏教教団は打撃を受けます。その後、大正時代になると、仏教系の新興宗教も多く誕生し、第二次世界大戦の敗戦を機に、祖先崇拝や家制度が動揺する中、在家仏教運動や現世利益などを標榜した新興宗教が勢力を拡大します。
 ちなみに、日蓮系の新興宗教には、創価学会・霊友会・国柱会・立正佼成会・仏所護念会・立正安国会などがありますが、いずれも日蓮宗の教義とは少なからず同異があります。

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