今日、10月23日は、妙法寺第二世住職、鍋谷寛恭上人(安国院日康上人)の祥月命日です。
昭和55年10月23日、世寿45歳という若さでお亡くなりになりました。
私の父が第三世として妙法寺に入ったのは昭和58年のこと。鍋谷上人のご子息は司法の道へ進まれたため、ご縁があって父が妙法寺を継ぐことになりました。
私は鍋谷上人にお会いしたことがありません。しかし、お人柄については、いろいろなお話を聞いています。
日本大学の演劇部に所属されていたそうで、とにかく声が大きく、感情表現が豊か。その迫力ある語り口で、多くの方の心をつかんでいたそうです。
しかも、かなりの色男だったとか。
声が大きく、表現力豊かで、色男。……なかなか勝てる気がしません(笑)。
また、日蓮宗大荒行堂で厳しい修行を重ねられた修法師でもありました。
そのご祈祷によって、多くの方々の悩みや苦しみに寄り添い、救いの手を差し伸べてこられたと聞いています。
人々が抱えるさまざまな因縁や苦しみと向き合うことは、決して容易なことではなかったでしょう。
そして、不思議なご縁があります。
父が初めて大荒行堂に入ったとき、鍋谷上人は三回目の修行で、同じ100日間を共に過ごしていたのです。
父にとっては大変厳しく、怖い先輩でありながら、一目置く存在だったそうです。
まさか、その先輩が守っていた妙法寺を、後に自分が継ぐことになるとは、当時は夢にも思わなかったでしょう。
ご縁というものは、本当に不思議なものです。
そして今、私があらためて感じるのは、45歳という年齢です。
現在、私は47歳。鍋谷上人は今の私よりも若くして、この世を去られたのです。
まだまだ、やりたいこともあったでしょう。救いたい人も、伝えたいことも、たくさんあったのではないでしょうか。
自分がその年齢を越えた今だからこそ、命の短さを身近に感じます。
私たちは、つい明日が来ることを当たり前に思ってしまいます。しかし、誰にも明日の保証はありません。
大切なのは、どれだけ長く生きるかだけではなく、いただいた命をどう生きるか。
鍋谷上人が守られた妙法寺を父が継ぎ、そして今、私が第四世としてお預かりしています。
45歳で生涯を閉じられても、その祈りも、思いも、こうして次の世代へと受け継がれています。
私も、いつか誰かに何かを残せるような生き方をしたい。
今日は、お会いしたことのない第二世の上人に思いをはせながら、感謝のお題目をお唱えしたいと思います。
南無妙法蓮華経。


