先日、お寺に足を運んでくださった方がおられました。
本堂の御宝前を照らす照明を新しくするために、お寺で作業をしてくださったのです。
実はその照明のことは、先代住職が生前より気にかけており、
「直してもらいたい」と、その方々にお願いをしていたものでした。
その方々は、
「住職がご存命のうちに直して差し上げられればよかった」
「六月七日の鬼子母神祭までには間に合わせますね」
そう思ってくださっていたそうです。
けれども、住職の命は、その日を待つことができませんでした。
そのことを、ずっと悔やんでくださっていたのでしょう。
作業を終えたあと、住職のお骨の前に手を合わせてくださいました。
亡くなった人との約束は、言わなければ誰にもわかりません。
果たさなかったとしても、誰かに責められることはないのかもしれません。
それでも、
「約束を果たしたい」
「住職の思いを継いであげたい」
その一心で、大変な作業をしてくださいました。
私が「本当にありがとうございます」とお礼を申し上げると、その方は、住職のお骨の前でこうおっしゃいました。
「私は今まで通り、いえ、今まで以上に、このお寺のためにさせてもらいたいと思っています。
住職がいなくなったからといって、私は何も変わりません」
その言葉を聞いた瞬間、思わず涙がこぼれました。
お寺という場所は、建物だけで成り立っているのではありません。
見えないところで支えてくださる方、心を寄せてくださる方、そして亡き人との約束を大切にしてくださる方々によって守られています。
先代住職が大切にしてきたこのお寺は、今もなお、そうした温かいお心によって支えられています。
そのお気持ちに恥じぬよう、そして、このお寺が皆さまにとって心の拠り所となれるよう、これからも一日一日、努めてまいりたいと思います。
新しくなった御宝前の灯りを見上げながら、改めて感じました。
亡き人との約束は、決して過去に置き去りにされるものではありません。
それを大切に受け止めてくださる方の心によって、今を生きる私たちの歩みを、静かに照らしてくれるものなのだと思います。
以前にも増して明るくなった御宝前を照らす明かりは、単なる照明の光ではありません。
先代住職が最後まで大切にしてきたお寺への願いであり、その思いを忘れずにいてくださった方々の真心であり、そして、これからもこのお寺を守り続けていきなさいという、あたたかな励ましの光のように感じました。
その光に恥じぬよう、皆さまの祈りが集まり、心が安らぎ、また明日へと歩み出せるお寺であり続けられるよう、これからも一日一日、心を込めて努めてまいります。
住職は姿を変えました。
けれど、その願いは今も、この御宝前の灯りの中に、そして皆さまのお心の中に、確かに生き続けています。



