それは4年前、「どうせなら棺桶にでも入ってもらいますか」とお酒を飲みながらの企画会議で生まれた。その名も「生前四十九日の旅」・・・。
ことしも10月18日、加藤清正公の菩提寺、熊本市の本妙寺で日蓮宗の青年僧主催「寺フェス4」が開催されました。
本妙寺の広い境内や塔頭(たっちゅう)と言われる参道沿いに建つ十数ヶ寺のお寺を開放し、一般参加の食べ物屋、雑貨屋、ダンスやバンド演奏、仏教体験や仏前結婚式まで、笑顔でご縁をつなぐ、お坊さんならではのイベント「寺フェス」。
私の担当は『生前四十九日の旅』。法事で「四十九日忌」とは耳にするが、一体どういったことなの?ということを、スタンプラリー形式で楽しみながら学んで頂くという企画です。
このスタートの仕方がとてもユニーク。まず「あなたはお亡くなりになりました」ということで、本物の棺桶に入って頂きます。
最初は、棺桶に入るなんて縁起が悪いようなこと、誰が喜んでするもんですか?と思っていたのですが、フタをあけると長蛇の列が・・・。たくさんの方々が棺桶に入られました。
棺桶に入った方々のお声・・「こぎゃん狭かとこには入りとうなか」「意外と静かなもんだね」「暗くて怖い。フタが開いてホッとした」等々。
なかにはご年配のご夫人で「棺桶に一回入ったけん、もうしばらくは入らんでよかばい」と笑顔で出てこられた方も。
印象的だったのは、30代くらいの女性。「静かで真っ暗な棺桶の中で目をつぶり、頭を空っぽにしました。フタが開き差し込んだ光に目を開き、棺桶から出ると生まれ変わった新しい自分になったような気がするんです」と寺フェス開催以来、毎年棺桶に入りに来ていらっしゃいます。
「往生(おうじょう)」といいますが、これは「往(ゆ)きて生まれる」こと。
亡くなった時から死出の旅が始まり、49日後に他の世界に往って生まれ変わるという意味です。
この49日間は、死から新しく生まれ変わるのに必要な期間で、現世と来世の中間にいます。
そしてこの期間、一週間ごとに死者は生前の行ないを七人の裁判官に審査されます。
初七日は秦広(しんこう)王に、生前の行ないの書類審査を受けます。
二七日(ふたなのか)は初江(しょこう)王に、盗みや殺しをしていないかを。
三七日(みなのか)は宋帝(そうてい)王に、不倫をしていないかを。
四七日(よなのか)は五官王に、嘘をついていないかを。
五七日(ごなのか)は、かの有名な閻魔(えんま)王が、ここまでの審査をもとに判決を下します。閻魔王は死後の世界の支配者とも言われます。
六七日(むなのか)は変成(へんじょう)王が、閻魔王が下した判決の審議を行ないます。
そして七七日(なななのか)の49日目に泰山(たいせん)王の見守るなか、次の生まれ変わり先へと続く入り口に向かっていくのです。
またこの時、故人はひとりで裁判を受けるのではなく、それぞれに仏さまが弁護人として立ち会います。
初七日は不動明王。二七日は釈迦如来。三七日は文殊菩薩。四七日は普賢菩薩。五七日は地蔵菩薩。六七日は弥勒菩薩。七七日は薬師如来が救いの手を差し伸べて下さいます。
遺族も、故人が来世も良い世界に生まれ変われるようにと、この一週間ごとにお坊さんと共にお経を唱え、故人の供養を行ないます。
お坊さんの読むお経は、故人の徳を積むためのもの。共に参列する人たちは「この人は、生きてた時はこんなに立派な人だったのですよ。こんなにたくさんの人から愛されていたんですよ」とそれぞれの裁判官へ伝えるためなのです。
善を追って功徳を積むから「追善供養」といいます。
故人が死出の旅で来世に歩み出すのと同じように、遺族も通夜・葬儀から一週間ごとの供養を重ねながら、少しずつ故人の死を受け入れて心に区切りをつけていきます。
49日が経つと、お位牌も白木のものから、黒塗りのお位牌に変わり、仏さまやご先祖さまと共にお仏壇へ。
その人はもうここにはいない、ということが受け入れられた時、故人の旅が終わり、遺族も日常の生活に戻り、新たなスタートが始まるのではないでしょうか。