【比叡山横川】相互供養~第44回 少年少女のための修養道場~(定光院)

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京都では『少年少女のための修養道場』が開催されていますが、今年は比叡山の横川定光院様での開催となりました。
この修養道場も今年で44回を数えます。2泊3日の間に、仏さまの教えはもとより、仏前作法や食事作法、礼儀作法などを、若いお上人方と寝食を共にしながら学んでいきます。今年のサブテーマは「みんなの心の仏さま」。自分の心の中に仏さまを感じ、みんなの心に宿る仏さまを感じ、他人への思いやりや助け合いの気持ちを学びます。
2日目の夜、ハンドメイドの灯ろうの仄かな光と、静寂と、少しずつ芽生え始めた連帯感を感じながら、幻想的な「ひかりのつどい」を皆で過ごします。そして翌日、修養道場開催のきっかけとなった『無名童女』(むみょうどうにょ)の追善法要が、お上人方と一緒に道場生も参加して行われるのです。会ったことも、話したこともない同じ年頃の女の子。
修養道場リピータ-の長男は、「いつか、お墓にお参りしたい。」と言いました。
最初は所作や段取りのことで頭がいっぱいで、“何方のための法要”かなんて考えも及びませんでした。でも、何度か法要を繰り返して、気持ちに余裕が生まれて来ると、その子のことを少しずつ考えられるようになったようです。
つまり、最初は「形だけの中身の薄い弔い」から、
繰り返すうちに少しずつ「供養の心」が育ち、
今度はその女の子からの「何らかの働きかけ」を感じられた時、
素直な心で「弔いたい」と思ったのです。
『相互供養』という教えがあります。供養とは「供給資養」のことをいい、善行を積んだ結果授かる功徳を、改めて故人の霊に回し向けて頂き冥福を祈ることをいいます。私たちはその供養を至心に施すことで、仏さまからも同じように供給資養されているという考えです。
法華経で、常不軽菩薩があらゆる人々に仏性を見出し、会う人々を軽んじず、仏さまとして尊んで合掌礼拝されたことに示される通り、仏さまと私たちの関係はただ一方的なものでは決してないということです。
また、日蓮宗の法要の最後の回向文の中で、「感応道交」という言葉がよく使われますが、これは「人々が仏を求める心と、それに応ずる仏の心が相交わる、通じ合う」ことを意味します。つまり、亡き人に対して手を合わせ篤くお弔いすることで、お互いの心が通じ合い、目には見えない存在から、命のつながりのある御先祖様と認識できるのです。

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