【能勢町】送り火

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昨日8月15日は、日本が戦争に敗れ第2次大戦が収束に向かった日であり、そして能勢地方の送り火でした。
今年も棚経でお檀家さんのお家をお参りし、真心のこもった飾り付けを前に、各家の御先祖様に法華経を上げさせていただきました。
「長い間、ずっとしてきたことやから・・」
「お飾りは仏壇の中だけにしたらどうや。」と息子さんから言われ続けていても、毎年毎年美しい精霊棚をこしらえる、齢80も半ばに差し掛かったお母様が仰いました。
精霊棚を設けることやその設置場所、お供物それぞれに意味があります。また、能勢地方では精霊棚に麻幹(おがら)などで作った梯子を架けるのですが、その梯子にも意味がありますし、段数にまで決めごとが伝えられています。
このように精霊棚ひとつを取っても、古来より連綿と語り継がれてきた歴史があり、各々のお家では姑から嫁へと代々受け継がれてきたしきたりの伝承があります。
また別のお宅では、一遍首題御本尊の前に安置された御先祖様の御位牌と、その前に一つ一つ丁寧に美しく盛られたお供物を前に、「お義母さんに教わってきたことを大切に守ってきたけれど、これから先はどうなるんでしょうね。」とお話されていました。
この世に生を受けた瞬間から、人は様々なしきたりを重んじるのに対し、人が亡くなる時にも同様に存在する種々のしきたりについては、時代と共に軽んじられる風潮にあるのは何故でしょうか…
少子化や住宅環境など、現代社会における深刻な事情が影を落としますし、昔の習わしをそのままの形で実践していくことが困難になっていることは否めません。
しかし、長い長い人生の中で多くの縁を結び、多くの関わりを持って生きてきた人が、一生涯にわたる多くの繋がりに大変重要な変化をもたらしながら人生を総括するその時に、熟慮することなくただ合理性・利便性だけを求めて、機械的な処理を続けることには疑問を持ちます。
たとえ時代によって形は変えても、そこに宿る人間の精神は常に識見高くありたいものです。
盆と和尚とご先祖さま No 3772 Sazae San サザエさん

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