『東日本大震災』から、2年が経ちました。私達は、あの日から「変わる」ことが出来たでしょうか。
この国は、「寸心を改める」ことが出来ているでしょうか。
3月8日から2日間、この時期最盛期を迎えているワカメの仕分け作業ボランティアに伺いました。南三陸町志津川漁港の漁師さんのお話では、漁港で水揚げされるワカメの量は、震災前と同じくらいになっているが、人口が減ってしまって人手が足りていないとのことでした。
ワカメが出荷されるまでには、私達が考える以上に人の手が加えられています。この日、私達が関わった工程だけでも、大変に細かな作業が手際よく進められていて、幾つかのテーブルを使って分業で行われていました。ここで作業されている方は、元々個人でワカメ漁を営んでおられた方達でしたが、震災後は幾つかの家族が集まって共同で作業しておられます。
3月10日は、亘理郡の山元町で、京都のお上人が主催するイベントがあり、現地で合流させていただきました。イベントの前に、被災した地区を回ってきました。この辺りでは、瓦礫の山はさほど見当たりませんでしたが、見渡す限り土ばかりの地面です。かつてここが、亘理が誇る田園地帯であったなんて、今では想像もつきません。折からの暴風で、一帯には砂塵が舞い上がり、視界も悪く、不毛の地と化した平野は、どこまでも砂煙に霞んでいました。田畑の再生には、まだまだ多大な時間を要します。
9時半頃には、目的の仮設住宅に到着しました。仮設の集会所をお借りして、皆でたこ焼きを焼きながらライブを楽しむという趣旨の催しで、今回で3回目の開催になるそうです。「ライブ班」は皆さんプロですから全てお任せして、我々「たこ焼き班」はひたすらたこ焼きをくるくる回しながら、お越しになった皆さんと交流します。一体、何百個焼いたでしょうか…お茶をしながら、ライブを聴きながら、みんなワイワイガヤガヤ。笑顔、笑顔、笑顔が、其処此処に溢れていました。
我々が普段、慌ただしい日々から解放され、非日常的なシチュエーションを求めてしまうのとは正反対で、現地では毎日が非日常の連続であり、そういった現状からはかけ離れた所で、心から笑い合える本当の“今”、ささやかな“今日”を楽しんでいらっしゃるように感じました。
「生き残ってしまった。」から、「私は生きているんだ。」というお気持ちに、少しずつでも変わっていただきたいという願いからも、このようなイベントは本当に大切だなと感じました。
そして、東北から戻った直後は、被災した現場と今ここにいる場所とのギャップ、昨日と今日が激しく違うことへの戸惑いが常にあります。逆にいえば、支援に行かせていただいている私達が「そう感じることが大切なのだ」「それを忘れちゃいけないんだ」と強く思います。
若い志津川病院の医師が、被災直後の病院での状況を「支える人がいたから、私は生かされていた。」と語られました。その後、一条の光を意味する「レイ」と名付けた彼のお子さんは、もう間もなく2歳の春を迎えられます。