ひとつの水をひとつの器に移すが如く~宗祖第740御遠忌~

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開催日:2021年11月20日

...病状が悪化し、弘安5年9月に療養のため身延を出発した日蓮は、武蔵国池上で死を迎える。しかし、その死は肉体の死であって、日蓮聖人は上行菩薩の応現として、いついつまでも人々を法華経に導き入れておられるのである。このような意味を「非滅現滅」(真の滅度ではないが、肉体の滅度を表す)というのである・・・
~渡辺宝陽監修『挑戦する苦しみ喜び: 日蓮その人と教え』より~
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11月20日(土)は、当山の御会式でした。
11月開催の管区行事の護法大会、そして当山の御会式法要も、開催に至るまでには紆余曲折がありました。
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11月の開催であれば少なくとも半年前の5月頃には企画を立ち上げて準備に取り掛からなければなりません。5月時点では医療従事者以外にはワクチンがほとんど行き渡っていない状態でしたし、第4波のピークを迎え、更に8月になると過去最大の第5波を迎えることになります。
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しかしながら、準備だけはしっかりと整えて、どのような状況になっても適切に対応できるよう心掛けました。現在では全人口の7割強が2回目のワクチン接種を完了し小康状態を維持しており、様々な感染症拡大予防対策を講じながら無事に当日を迎えることが叶いました。
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今から32年前の1989年、前年から連日のように伝えられていました「天皇陛下ご重体」という報道の中、日本各地では自粛ムードが広がり、ついには1/7吹上御所にて崩御され、激動の昭和が終わりました。

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今上天皇の崩御に当たっては、殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後もしばらくの間関連行事が続きました。
「皆さん、お元気ですか」と呼びかける乗用車のCMから音声がカットされるなど、過剰なまでの自粛モードに疑問を投げ掛ける声も少なからずありましたが、兎にも角にも当時都内に住んでいた私は首都東京の灯が消えるということを身を以て体験しました。

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一方で平成の終わりはと言えば、「生前退位」ということで、昭和のそれとは対象的な祝賀ムードの中、その年の5月、歴史的な元号改元から令和の暦が始まりました。
私が都内で体験した自粛と闇の昭和の終焉とは異なり、華やかな雰囲気が国民の胸を高鳴らせました。

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よもやそれから数ヶ月の内に、目に見えない脅威である新型コロナウイルスが瞬く間に全世界に拡大し、夥しい数の尊い人命が奪われるという惨状を迎えることなど夢にも思いません。
国内では、人の交流が失われ、物流が途絶え、国内初の陽性者が確認されてから間もなく2年が経とうとしている現在に至って、ようやく全国各地で様々な規制が慎重に緩められているのが現状です。

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秋が深まっても、清らかな渓流が、間断なくこんこんと流れるように、常磐木はいつも青々として、決して凋む事なく碧を保ちます。


我々の信仰も同じこと。
釈尊、ひいては宗祖の御心を、以心伝心、心から心へ、ひとつの水をひとつの器に移すが如く、仏々祖々、嫡々相承されて今に伝わっています。

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その間、一度も途切れた事がない...

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大聖人が数々の大難・小難の中で、鎌倉で伊豆で、佐渡で、囚われの身になりつつも、いつも心は自由であったように、身命を惜しまず一天四海回帰妙法の信念を貫き通されたように、我々日蓮宗徒はどのような困難の時代に生きようとも、決して来世に希望を先送りするのではなく、しっかりと宗祖の御心を受け継ぎながら現世の光明を見出していただきたいと思います。
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豊能管内では、ここ数年の間に各寺院で世代交代が続きました。 一方で、昨年から僅か1年の間に、3人のご老僧が相次いで遷化されました。管内延いては伝道教団たる宗門の損失は計り知れませんが、祖願成就への化導と至純の熱血は、管内寺院の中に受け継がれ脈々拍動していると確信します。

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冒頭の1枚目の写真は、10年前に三木お上人に抱っこされた長女です。
三木上人がお越し下さった御会式の今日は、立派に式衆を勤めました?

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